白いアヤカシ



都外れの小さな邸宅。その、荒れ放題の庭とともに、ひっそりと静まり返り。
人の住む気配を感じさせない。
「相変わらずだな」
ぼそりと呟き、気楽に沓で踏み入る男が一人。
供も連れずに現れた男は、何やら包みを下げて屋敷に歩いていく。
かさ、かさ、かさ。刈り取られることのない下草が、音を立てる。
「おい、クレイ! いるのか? 入るぞ」
言うが早いか、男はさっさと沓を脱ぎ、屋敷の中に入った。

「───ああ、ギアか」
脇息にもたれてぼんやりと庭を見下ろしていた男が、振り向いて微笑んだ。
「全く、いつもの事ながら返事ぐらいしろよ、クレイ」
苦笑混じりに声をかけると、ギアはクレイの隣に胡坐をかいた。
手に提げてきた包みをどん、と前に置く。
「何だ?」
クレイが尋ねる。
「土産だ。昨日山里から届いた茸だ、焼いて食うと美味い」
「すまないな」
そう言うと、クレイが何かを合図して。奥から一人の男が出てきた。
「おっ……!?」
ギアがその男を向き、絶句する。すらりとした水干姿の、整った顔立ちの若者。
しかし、その髪は黒くはない。燃え盛る焔のような、緋色。
「クレイ、この者は……?」
「昨日起こした式だ。名はトラップ」
クレイがにこりと微笑んで、彼を紹介する。
「トラップ、か……」
ギアはまじまじとトラップを見つめると、やがて立ち上がり。彼の近くへ歩み寄った。
「俺はギアだ、よろしくな、トラップ」
そう言って、ギアも微笑んだ。
「ああ」
トラップはにやりと笑みを浮かべた。
「さっそくだが、トラップ、ギアの土産を焼いてきてくれるか」
クレイが包みを持ち上げて、トラップに声をかけると。
「あぁー? しょーがねーな、ったく。おめーら、酒もいんのか?」
面倒そうな声を出し、でも動作はきびきびとその包みを持って屋敷の奥に消えていった。
「……なあ、クレイ」
その背中を見送りつつ、ギアが尋ねる。
「何だ」
「式神にしてはずいぶんと個性的な奴だな。普通主人の命には従順なんだろう」
クレイと親しくしているおかげでそれなりに知識も得ている、彼ならではの言葉。
「……。たまにはこういうこともあるさ」
ギアの指摘に、クレイは苦笑で答えるしかできなかった。



宵も更けて。月が屋敷を見下ろす時分。
「ほら、おめぇまだいけんだろ?」
トラップがギアの杯に酒を注ぐ。
「あ、ああ、すまん……。それにしても、お前強いな、トラップ」
ギアはほろ酔い加減ながら、まだ意識ははっきりとしているようだ。
屋敷の主であるクレイは、もうとっくに酔い潰れてうたた寝している。彼の横には、空になった酒瓶が二つ転がっていた。
「まあな、どうせ俺は人と違って、酔うなんてこたぁねーし」
トラップはにやっとして、杯の中身を一気に飲み干した。
「そうか、便利だな」
ギアがしみじみと感心したように呟いたのを見て、トラップは微笑んだ。
「それにしても、おめぇ珍しいな」
「? なぜだ」
トラップの真意を図りかねたギアが問い返すと、彼はふうっと息を吐いた。
「普通、式神なんてもんはそうそう会うもんじゃねーだろーよ? だいいちクレイが操る陰陽道の力だって、普通の人間にとっちゃ見世物か化け物だ。んな奴が使役してる式神なんざ、普通の人間は近寄らねーのが当たり前だろって言ってんの」
「……まあ、そうかもな」
ギアはふっと笑みを浮かべて、月を仰いだ。
「だが、俺はクレイのことをよく知っているつもりだ。友人だと思っている。そのクレイが使う式神が、悪い奴であるわけがない。少なくとも俺はそう、信じている」
月を見たまま、呟くと。
「……おめでてぇ奴だな」
トラップも空を仰ぎつつ、呟いた。
「ほら、先に潰れたクレイの分までお前が飲め」
「言われなくてもそうするっつーの」
男たちは、互いの杯に酒を満たすと、にやりと微笑を交わした。

結局、ギアはその晩クレイの屋敷に留まり。ふたりが起き出すと、既に日は高かった。
「おめぇら、ついでに縁側で日干しでもしとけば?」
トラップがにやにやしつつ、ふたりに水を差し出した。
「そうだ、ギア。昨日ここに来たのは茸を届けるためか?」
水を一気に飲み干しつつ、クレイが尋ねる。
「おお、そうだった! すっかり酒に気を取られていたな、俺としたことが」
ギアがぽん、と膝を打って。
「実はな、クレイ。俺の知り合いの屋敷に何やら物の怪が出たらしく、家人が皆怯えているのだ。ついてはお前の力で何とかしてもらえぬかと、俺のところにその家の主が泣きついてきてな。どうだ、相談に乗ってもらえないか」
クレイに尋ねた。
「うーん……」
腕組みするクレイ。ギアはその彼をじいっと見つめる。
「どうせ今、暇なんだろ? 昨日の茸の礼もあんだし、引き受けてやんなって」
トラップが口を挟む。
「───まあ、な。とりあえず詳しい話を聞かぬことにはな」
クレイがそう言うと、ギアの表情は明るくなった。
「よし、ならば今夜にでもその家に参ろう。車を寄越すよう使いを出す」
ギアは立ち上がると、「また来る」と言い残して立ち去った。



時の中納言邸は、昨年立て替えられたばかりの新しい屋敷。
粋を凝らして作り上げられた庭の池に、満月が映っていた。
寝殿の一室に通されたクレイとギア。クレイはいつもの白い狩衣、ギアも狩衣姿である。ただ、通常と違い、クレイの腰には緋色の柄をした一振りの小刀。
美形と称されるふたりが並んでいる様は、宮中でもない限り滅多に見られないためか、御簾の向こう側がやけに騒がしい。屋敷仕えの女房たちが、息を呑んで見守っているのが手に取るようにわかった。
「わざわざお越しいただいて恐縮です、クレイ殿」
出迎えた中納言は、格下の者であるはずのクレイに対してやけに腰が低い。
クレイを最後の頼みの綱としている故か、それとも皇家と繋がりのあるギアが隣にいることを思ってのことか。
「それで、物の怪というのは……?」
クレイが少し、膝を進めると。
「は、はい。それはこの者……リタに説明させます」
中納言の言葉で、今まで後ろに控えていた女房のひとりがずい、と膝を進めてきた。
しっかりした顔立ちの、利発そうな瞳を持った女性だった。

「物の怪が姿を現すようになったのは、確か五日ほど前のことだったと思います」
彼女は、はきはきと簡潔に語り始めた。
屋敷で夜中に真っ白い小さな生き物を目撃したというのである。
それは子鬼のような角を持ち、鋭い爪を光らせていた……。
「まだ誰も被害に遭ったわけではないのですが、私が他の者たちに尋ねてみると、他にも数名その物の怪を見たという者がおりまして……。その、夜に恋人と逢った帰りなど」
「ふうむ……」
隣でギアが唸る。クレイは無言で続きを促す。
「この屋敷では、今まで猫など飼ったこともございませんし、まして角のある生き物など見たことも聞いたこともございません。それゆえ、これは物の怪に相違ないと皆で話し合いまして、昨日中納言様に申し上げた次第なのでございます」
「と、いうわけでして……。その、私はまだその生き物というか、物の怪は全く見ていないのですが、女房が大勢見たと申しておりますので気になる次第でしてな。是非これは、比類なきお力をお持ちのクレイ殿にご相談すべきではと……」
中納言は心もとなげに、ちらりとクレイを見た。隣に控えるリタも、クレイをじいっと見つめている。
クレイは彼らの視線など気にも留めず、思案げな表情だった。
「───どうする? クレイ」
ギアが問うと、クレイは静かに言った。
「ひとつ、今宵はここでその者を待ってみようか」
すると中納言の表情が、ぱあっと明るくなった。
「いや、それはありがたいことです! ではさっそく夕餉の準備などさせましょう、さあ皆の者支度を!」
彼の声に、女房たちは一斉に動き始めた。



夜も更けて、既に屋敷の者たちは寝静まった時分。
クレイとギアは、借りた小部屋でひっそりと話し合っていた。
「なあ、今日物の怪は現れるか」
「さあ……な」
ギアの問いかけに、クレイは曖昧な返答。
「おい、クレイ」
ギアが思わず非難めいた声を上げる。
「物の怪次第、というところだろうな。しかし、毎日のように奴が現れているというのだから、今日も恐らくはやって来るだろうよ」
クレイは涼やかに返答すると、徐に腰に下げていた刀を取り出した。
「お前も見張ってくれ」
そう言うと、刀を鞘から取り出して床に置いた。
月光に照らされて、刀が輝く。そして───
刀が輝きを増し、その光は段々と大きくなって。やがて、人の形を成した。
「よお、ギア」
涼しげな口元が、ギアの名を呼んだ。
「トラップ……! お前、ほ、本体は、それだったのか」
ギアは危うく大声になりそうだったのを、咄嗟に押さえて呟いた。
「クレイ、物の怪の気配はねえよ、今んとこな」
トラップは続いてクレイに声をかける。
「そうだな、俺にも感じられない」
クレイも頷いた。
「クレイ、なぜトラップも連れてきたんだ」
ギアが問うと、クレイはふっと微笑んで。
「何が出てくるのかわからないからな、こいつもいてくれた方が何かと心強い」
トラップを指差して答えた。
「ま、クレイだけじゃ頼りになんねーとこがあっからよ」
「おい!」
トラップの言葉を真に受けて、クレイが勢いづこうとする。
「はは、一本取られたか、クレイ」
ギアが微笑んだ。

そのとき。
ギアを除くふたりの表情が、一変した。
その張り詰めた雰囲気に、ギアも何かを悟る。
「───来たようだぜ」
トラップの低い呟きに、クレイも無言で頷いて。ふたりが同じ方向を見つめた。
かさり、かさり。
微かな音を立てながら、何かがやって来る気配。
ギアにもその音は届いているらしく、彼は無意識に腰の刀に手をかけた。
そして。

満月の光を受けて、現れたのは。
真っ白な毛を持った、小さな生き物だった。



「こいつ、は……?」
ギアが声を上げる。
クレイやトラップは緊張を解いていない。
真っ白な長い毛に、一本の小さな角。愛らしいともいえる顔に、思いがけず太くて丈夫そうな脚が四本。立派な爪が生えている。尻尾も長く、どちらかといえば犬のようだが。
間違っても、角の生えた犬などいないから。
「どうやら、こいつのこと、らしいな」
トラップは視線を外さないまま、呟いて。
「ああ」
クレイも微かに言葉を発した。
この生き物を、どうすべきか。クレイもトラップも、考えているような表情。
しばし、時が流れる。
やがて。

「兄ちゃんたち、誰デシか?」

唐突に、その生き物が。流暢に人の言葉を話したから。
「………!?」
クレイも、ギアも、トラップまでもが。わが耳を疑って、言葉を失い固まった。
「お、お前は……人の言葉が、わかるのか」
恐る恐る、ギアが尋ねると。
「はいデシ!」
少年のように素直そうな、元気な声が返ってきた。
黒い瞳はきらりと輝き、利発そうな表情を見せる。
「お前、名は何と言う」
クレイが冷静さを取り戻して、その生き物に問いかけると。
生き物はしばし思案げな表情を見せてから。たった、ひとこと。
「……忘れたデシ」
悔しそうな、悲しそうな声で。そう、答えた。



彼は、自分に関する全ての記憶を失っていた。
この屋敷へ来るようになったのも、特に理由はなく。ただ、人の声や明かりにつられて立ち寄っただけだと言う。
ギアは、どうしたものかと考えた。この生き物を、悪しき物の怪として退治するか。
しかし。この生き物からは、恐ろしい気配などまるでせず。
むしろ、優しく温かな、柔らかささえ伴う空気を感じさせた。
「なあ、クレイ」
ひと通り話を聴き終えたあと、ギアが口を開いた。
「この者、俺にはどうしても禍々しきものとは思われぬのだが」
「ふうん?」
真っ白な生き物を、まるで愛玩動物の如くあやしていた、クレイが顔を上げた。
「ギア、慎重なお前とも思えない言葉だな」
クレイはいかにも、意外だという表情。ギアが、そんな彼を見て苦笑する。
「俺が慎重になるのは、人を相手とするときだけだ。人は見かけだけでは判断できぬものがある。心の奥は読めない。それが人なのだろうがな」
「……ふむ」
クレイの相槌は、どことなく投げやりだったが。ギアは話を続けた。
「まあ、今はそのことを論じ合うべきではない。この者をどうするか、それを考えるべきなのだろう。そして俺はな、クレイ。この者、悪しき心を持っているとは思えない」
きっぱりと、自分の主張を述べる。
「どうだろう、クレイ?」
「───うん」
クレイは相槌を打ってから、目の前でちょこん、と、行儀良く座ったままの生き物を見つめた。
恐らくは、まだ子供。禍々しさなど微塵もなく、それよりも、感じられるのは清らかさ。
ギアに言われるまでもなく、彼もまた、そう考えていた。
「……さて、と」
不意にトラップが立ち上がり、大きく伸びをする。
「俺はもう、元に戻るわ。クレイ、後始末はおめぇだけでも何とかなっだろ。じゃな」
眠そうな声で、呟くと。
ざあっ!
彼の赤毛が、風もないのにざわめいて。髪が、見る間に緋色の布に変じていく。
そして。彼の姿は小さくなり、やがて、緋色の柄を持つ一振りの刀に戻った。
「全く、トラップは……」
苦笑しつつも、クレイはその剣を拾い上げ、鞘に納める。
「あいつ、本当に変わった式神だな」
ギアは、トラップのやけに人間臭い言動が、面白く感じられるらしい。声の響きに、妙な感心が伺えた。
「さて、と。俺たちもそろそろ床に就くとするか? な、クレイ」
そう言うと、クレイの前で今も大人しくしている、あの生き物に笑いかける。
「お前はどうする? 自分の家に戻るのか」
生き物は声をかけられて、2,3度瞬きをしてから。ぽつりと言った。
「……ボク、家もわからないデシ」



朝が来て。
中納言宅は、久々に夜中の悲鳴を耳にすることもなく、平穏な朝を迎えた。
クレイが何と、言い含めたのか。その後は、中納言宅での怪異の噂も途絶えた。

「おい、クレイ、いるか」
今日も、供なしの単独で、しかも徒歩で訪れる客がひとり。
言わずと知れた、ギアである。
「あ、ギアしゃん、こんにちはデシ」
可愛らしい声と、とてとてと小気味良く届く足音。
真っ白な尻尾を振りつつ、歩いてきたのは───かつて「魔物」と呼ばれた彼。
「おお、シロが出迎えてくれるのか」
ギアの表情が、自然と緩む。
シロと名づけられた、その生き物は。ギアの前に立って歩きながら、彼に教えた。
「クレイ兄しゃんは、あっちにいるデシ」

記憶を無くしたままの彼に。シロ、と名づけたのはクレイ。
「名前がないと、不便だからな。仮の名前だから、これで許してくれよ」
苦笑いして、そうシロに告げると。
「いいお名前デシ! クレイ兄しゃん、ありがとうデシ!」
思いの外、喜ばれてしまい。クレイとしては、やや複雑な気持ちだった。
「……ま、おめーの思いつくもんとしちゃ上出来でねぇの」
いつの間にか人型となっていたトラップが、シロの頭をそうっと撫でる。
「トラップ兄しゃんも、ありがとデシ! ボク、頭撫でてもらうの大好きなんデシ」
シロは、トラップにも存外良く懐いており。皮肉屋のトラップでも、さすがにこれほど愛らしい生き物が自分を慕うというのは、皮肉も出ないのであろう。
普段は決して浮かべない、微笑すら浮かべている。
「ところで、ギアしゃんは、何のご用デシか?」
くりっとした愛らしい瞳を、きらりと輝かせるシロ。
「おお、そうだそうだ! 実はな、クレイ……」
ギアが神妙な声色になったのを、見て取ると。クレイは苦笑を浮かべて。
「トラップ、酒の用意でもしてくれよ。話が長くなりそうだ。あ、お前も飲むよな?」
一応、彼の腹心である式神に。軽い調子で、用事を頼んだ。


              《完》







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