ささやかな願い


シルバーリーブのみすず旅館。
二階の奥にある男部屋から二人の話し声が聞こえる。
一人は部屋に泊まっているトラップ。
もう一人は彼を訪ねてきたマリーナだ。
久しぶりに会えたせいもあって楽しげに会話していた。
隣の女部屋には男部屋から気をつかって出てきた――部屋から追い出されたとも言うかもしれない――キットンが一人でぶつぶつとつぶやきながらキノコ図鑑を眺めていた。
姿の見えないルーミィとシロはノルと公園に出かけているようだ。
「そういえば、パステルとクレイってまだ帰ってこないのかしら」
話に一区切りついたところで、マリーナがトラップに聞いた。
いくら会話に集中していても、みすず旅館では階段を登る音や廊下を歩く音、戸を開ける音などはよく響くので聞こえてくるはずなのだ。
キットンがばたばたと動き回っていた時は話すのに支障が出るくらいで、トラップが隣の部屋に向って怒鳴ったくらいだ。
もちろん、その後でトラップはマリーナに怒られていたが。
「どっかでいちゃついてんじゃねぇの?」
「そうかもしれないわね。あの二人、いつまとまるかって心配してたけどちゃんとまとまってくれて良かったわ」
おかみさんが持ってきてくれた紅茶のカップを口元に寄せながらマリーナが笑顔を作った。
「クレイの奴が言ったみたいだからな。どんな顔して言ったんだかな」
「クレイなら想像がつくじゃない。あんたがどんな顔してたのかの方が、みんな興味あると思うわよ?」
「いいじゃねぇか、んなことはよ」
トラップはベッドから立ち上がって椅子に座るマリーナから顔をそらして、窓辺に腰を下ろした。
いつものトラップの定位置だ。
「また、照れちゃって。恥ずかしがることないでしょう? やっぱりみんなに聞かれたりしたの? …って聞いてる? あんた」
自分の方には目もくれず、窓の外を見ているトラップにマリーナ呆れた声を投げたが、トラップは返事もしなかった。
どうやら本当に聞いていないようだ。
トラップが何をそんなに真剣に見ているのかと興味を持ったマリーナは窓辺にこっそり近寄った。
「わっ!!」
トラップの斜め後ろあたりからマリーナはトラップの耳元に大きめの声を出した。
「うわっ!」
驚いたトラップは声こそ出したが、さすがに体のバランスまでは崩さなかった。
「驚かすんじゃねぇよ。ほら、あそこだあそこ。見てみそ」
トラップはマリーナの肩に手を置いて少し移動させ、親指で下を指した。
窓の下、旅館の角にある木の下にクレイとパステルがいた。
旅館の前庭は洗濯物を干したり、薪を割ったりする場所があるので比較的広くなっている。
旅館の前の道とは低い垣根で分断されていた。
垣根のすぐ脇に立つ大きめの木。
その周りは春の草花がいくらか生えている。
マリーナがシルバーリーブに到着する前に買い物があると出掛けたクレイとパステルはいつの間にか帰ってきていたようだ。
買い物と言ってもパーティの買出しではなく、旅館のおかみさんに頼まれたものだ。
パステルの原稿が書き終わったこともあって、原稿を出すついでにクレイと二人で出掛けたわけだ。
荷物はもう台所にでも置いてあるんだろう。
二人の周りに荷物はなかった。
「あんなとこでよくやるよなぁ。外からも中からも見えるってのに」
「素敵じゃない。パステル、〆切りで根を詰めてたんでしょう? 久しぶりに二人っきりの時間を過ごしてるのよ」
パステルは木の根元に座り、クレイはそんなパステルの膝を枕に眠っていた。
パステルの頭も時折軽く揺れるところからすると、パステルも眠っているのかもしれない。
「下に行ってからかってやんねぇ? あいつら真っ赤になるぜ」
トラップがにやにや笑いながら言った。
「あんたってそんなことしか考えないんだから。邪魔してどうするのよ。からかうのなら後でもできるでしょう」
「おめぇも好きだよな」
クレイとパステルをからかうこと自体には反対をしないマリーナに、自分のことは棚にあげてトラップが苦笑する。
「あの二人ってからかいがいがあるのよね」
「ま、そりゃ同感だけどな。なぁなぁ、それよりさぁ、マリーナ」
窓に向けていた目をマリーナに戻し、トラップは猫なで声をだした。
「な、なによ。気持ち悪い声ださないでよね」
露骨に嫌そうな顔をして、マリーナはトラップから離れようとしたが、肩に置かれたままになっていたトラップの手が、そうはさせてくれなかった。
「おれもちょっと眠いんだよな」
「あんたの思考回路って単純すぎるわね」
「いいじゃねぇか」
トラップは言いながら窓から降りて部屋の中央までマリーナを引っ張っていった。
「ちっと狭いけどなんとかなるか。ほれほれ。上がれ、上がれ」
トラップは適当にベッドを整えながらマリーナを急かした。
「あんたってほんと、甘ったれよね。情けないわ」
マリーナは呆れながら、そんなトラップを見下ろしていた。
「たまにはいいだろ?」
枕を壁際にどけたトラップはベッドの上からマリーナを見上げた。
「ほれ、座れって」
トラップはベッドをぽんぽん叩きながら、マリーナを呼び寄せる。
「人が来てる時に寝る馬鹿がどこにいるっていうのよ。来てあげたっていうのに…」
文句を言いながらもマリーナはベッドに上がっていた。
「おっ。物分りがいいじゃねぇか」
マリーナが座り込んだのを見て、トラップは上機嫌でマリーナの膝をめがけて寝転んだ。
が、そこにマリーナの膝はなかった。
シーツに頭を打ったトラップをマリーナが覗き込んだ。
恨めしそうなトラップにマリーナが笑いかける。
「わたしのお願い、きいてくれたらいいわよ」
「なんだよ」
すねたトラップは小声で答えた。
「お願いは後で言うわ。きいてくれる?」
マリーナは満面の笑顔でトラップに聞く。
「…わぁったよ。なんでもきいてやる!!」
「ありがとう」
「ったく…」
トラップは文句を言いながらもマリーナの膝に頭を乗せた。
「子供みたいね、トラップ」
「っせー。黙ってろって」
「はいはい」
トラップは目を閉じて、マリーナはそんなトラップの髪を優しくすいた。
トラップは心地よさそうに薄っすらと笑みを浮かべた。
黙ったままの時間が過ぎ、トラップはいつしか眠りの中に落ちていた。
「今度はあんたがエベリンに来てね。ねぇ、来てくれるわよね?」
マリーナはトラップの髪に触れながら、そうつぶやいた。

END


◇◇◇あとがき◇◇◇
トラマリ第5弾です。
フリーで言ったのをそのままに書くつもりだったんですが、膝枕、してもらえてしまいました。
しかしトラップはやぱりマリーナに弱いですね。
たまにはトラップに振り回されるマリーナとかも見てみたいですが…ありえるんでしょうか?




特集の部屋へ