パステルはどこに行ったんだろう?
長い髪をなびかせた女性を見ると、すぐにパステルのことに思考が飛ぶ。
自由行動中なんだから、パステルがどこにいるかなんて、気にすることはないはずなのに。
でも、迷子になってないかと、いつも心配になる。
こんなこと、パステルに知られたら怒られそうだけど。
シルバーリーブと違って、エベリンは広いし、まだよく分かってない場所も多いはずだ。
マリーナと一緒にいるだろうから、そう心配することもないんだろうけどな。
だけど、もしかしたら、一緒にいるのはマリーナじゃなくて…。
「クレイ!」
叫ぶ声に目線をそちらに向けると、目立つ赤毛が走ってくる。
近くに誰かがいる様子がないのに、ほっとしている自分に気がついて、少しだけ自己嫌悪を感じた。
「どうした?」
トラップが息を切らせるなんて珍しい。
おれの目の前で立ち止まり、顔を真っ赤にして、肩を上下させるトラップが落ち着くのを待った。
「お、前」
まだ息が整っていないのに、トラップは言葉と共におれの胸倉をつかんだ。
「お前、なんで、マリーナ振ったんだ!?」
とっさに言葉を返せなかった。
あれは何週間前になるだろう。
マリーナが突然シルバーリーブにやってきて、一日だけ泊まっていった。
パステルがずいぶんと喜んで、ほとんどずっと話し込んでいたから、一日目はまともに話もしなかったはずだ。
翌日にシルバーリーブの案内を頼まれたおれが、小さな村を紹介し終わるころには、マリーナの表情に決然とした意志が宿っていた。
そんなことに、おれは気付きもしなかったけど。
夕暮れに告げられた言葉に、おれは謝罪しか返せなかった。
「気にしないで」と言ってくれたマリーナは、すでにいつもと変わる様子はなく、すっきりとした顔をしていた。
それからすぐに、マリーナは乗合馬車に乗り、エベリンへと帰っていった。
言うほど平気ではなかったから、すぐに帰ってしまったのか、はじめからそのつもりだったのかの判断はつかなかった。
すまないという気持ちはしばらく消えなかったけれど、必要以上の罪悪感は感じていない。
気持ちに応えられなかった申し訳なさがあっても、それは仕方のないことだと思うから。
だから、こんな風に責められることがあるなんて、思いもしなかった。
「マリーナがどれだけのおめぇを想ってたか、知ってんのかよ!」
人通りがないわけでもない道の片隅で、トラップは叫ぶように言葉を続ける。
トラップの目は吊り上り、今までかつて見たことがないほど怖い顔をしていた。
「落ち着けよ、トラップ。とりえず、場所を変えよう」
「場所なんかどこでもいい! なんで振ったんだよ! なに平気な顔して会ってんだよ!」
服をつかむ手が、ひときわ強くなる。
苦しさを感じるほどに胸倉を締め上げられる。
普段から怒りっぽいトラップではあるけど、この怒り方は尋常じゃなかった。
「あいつの何が気に入らないってんだ!!」
「落ち着けって。マリーナに迷惑がかかるぞ」
おれがマリーナの名を出すと、トラップは顔をさらに赤くしておれをにらみ付けたけど、胸倉をつかんでいた手からは少しだけ力が抜けた。
「なんで振ったんだよ」
その理由を聞くまでは納得しないと言うように、繰り返し問いかけてくる。
「とにかく場所を移そう。人目のあるところでする話でもないだろう」
人気のない裏路地に入り込むと、トラップはここで十分だとばかりに、話を再開した。
「あいつの何が気に入らないんだ」
「気に入らないところなんかないさ」
だけど、気に入らないところがなければ、誰でも好きになれるわけじゃない。
「ならいいじゃねぇか。サラとの婚約だって解消したんだろうが。誰に遠慮する必要があるってんだ。マリーナほどおめぇを想ってくれる相手なんか、もう二度と現れねぇぞ」
口調から、必要以上の乱暴さは消えたけれど、トラップはまだ冷静ではないようだった。
まるでおれが、マリーナを好きであるかのような話しぶりだ。
そういえば、サラもおれを好きだと言ってくれた。
マリーナがどれほどおれを想っていてくれたのかは確かに分からないけれど、サラもおれを長い間待っていてくれていた。
それでも、おれは婚約を解消した。
相手の気持ちがどれほど強くても、それに応えることはできなかったから。
「サラとの婚約を破棄したのに、マリーナは関係ないよ」
自分でも驚くほど、冷たく言い放った。
それはたぶん、おれの心の中に芽生えたある疑惑のせいだったと思う。
「誰か好きな奴でもいるのか? そいつとは上手く行く見込みがあるのか? そうでもないなら、マリーナのことをもっと真剣に考えてやれよ。あいつにはおめぇしかいねぇんだ」
懇願するかのような言葉だった。
トラップが真剣なことも、必死なことも、嫌でも伝わってくる。
だけど、どうしてトラップに、こんなことを言われないといけないんだろう。
よりにもよって、トラップに。
見込みがあるかって?
ないよ。
あるはずがないじゃないか。
彼女の傍には、いつもお前がいるんだから。
だけど、見込みがなかったら、好きじゃない子と付き合わないといけないのか?
片想いをすることさえ、許されないのか?
マリーナが告白してくれたことを、おれが真剣に考えなかったとでも思っているんだろうか。
告白された後も、全く気にしていなかったとでも思っているのだろうか。
おれがそんなにいい加減な奴だと、お前が思っているはずもないのに。
「勝手なことばかり言うなよ」
トラップを正面から見据えると、熱くなっていたトラップが口をつぐんだ。
ついさっきまでその瞳に宿っていたすがるような希望が、絶望に塗り替えられていく。
おれが険しい顔をしていることに、ようやく気がついたかのように。
「おれには好きな子がいるんだ。見込みがあるとかないとかは関係ないだろう。彼女がおれを好きじゃなくても、おれは彼女が好きなんだ。それなのに、マリーナが想ってくれてるからって、自分の気持ちをごまかしてまで付き合えっていうのか」
「どうしても、そいつじゃないといけないのかよ」
「振られるまでは諦めるつもりはないな。たとえ彼女がおれを好きじゃなくても」
振られたからって、すぐに気持ちを切り替えられるほど、軽い想いでもないつもりだった。
「だけど、マリーナは」
まだ言うのか、と軽いため息がもれた。
おれの言っていることが、伝わらないんだろうか。
こいつは何度、マリーナのために口を開くつもりなんだろう。
「もういい。マリーナの気持ちをいくら聞いたところで、おれの気持ちは変わらない」
トラップは、悔しそうに唇をかんだ。
辛さをこらえるような、胸が痛みでもしているような、苦痛にゆがんだ顔をしている。
「なぁ、トラップ」
親友のそんな表情を見てさえ、おれは冷静だった。
「おれもお前に聞きたいんだ」
親友がそんな顔をするからこそ、頭の芯がどこまでも冷たくなっていく。
トラップがのろのろと顔を上げる。
半ば放心したようなトラップに、おれの疑惑はさらに膨らんだ。
「お前は、パステルが好きなんじゃないのか?」
トラップの目が泳いで、動揺があらわになる。
「ただのおれの勘違いだったのか?」
そう聞きはしたものの、そんなはずがないことは、おれ自身がよく知っていた。
ギアとパステルのごたごたがあってからのトラップは、パステルばかり構っていた。
パステル以外の、誰の目にも明らかなほどに。
「…違わない」
さっきまでの迫力とは一転して、視線をそらしたトラップは、ひどく弱々しかった。
「マリーナのことは、どう思ってるんだ」
トラップにとって、マリーナが大事な幼馴染だってことは知ってる。
おれにとってもそれは変わらない事実だけれど、同じ家で暮らしていたんだから、おれよりも思い入れは深いのは当然のことだった。
だけど、だからと言って、あれほどまでに激昂し、理不尽になるのはトラップらしくなかった。
無理やりにマリーナと付き合わせようとするほどに理性を失うのは、大事な幼馴染のためというよりは、特別に想う相手のために思える。
さっきまでのトラップの態度は、『幼馴染』の関係を遥かに超えていた。
「おれは」
そう言ったきり、トラップは押し黙った。
おれは、トラップはパステルが好きなんだと、パステルだけが好きなんだと思っていた。
その態度があからさまになり、トラップが誰を好きなのかに気付いたとき、おれはもう身動きがとれなかった。
トラップの想いを知る前までは、恋愛には興味がなさそうなパステルを、黙って見守っていくつもりだった。
自分の気持ちを打ち明けて、パステルを困らせたりしたくはなかったから。
パステルと気まずくなってしまったら、他のメンバーにも迷惑がかかってしまうことも恐れていた。
そんなときに、トラップの気持ちを知って、親友と同じ子を好きになったことに愕然とした。
パステルに話しかけるトラップを見るたびに、心が痛んだけれど、文句を言える筋合いじゃない。
トラップの気持ちを邪魔したくなかったから、おれは自分の気持ちを押し隠すことに決めた。
トラップにおれの気持ちを悟られ、おれと同じ苦しみを味あわせたくはなかったから。
それが、臆病な自分への言い訳を含んでいたとしても、パステルに必要以上に近づくことはできなくなっていた。
「おれは、お前がパステルだけを好きだと思ってたのに」
それでも諦められない想いを抱えているのに。
お前はいつでもパステルにちょっかいを出して、おれはそれをいさめることくらいしかできなかった。
お前の想いを知ってしまったから、パステルに対してどこか遠慮するようになっていた。
相手がお前であっても、おれはおれなりの想い方をしていこうと思っていたのに。
おれだって、パステルが好きなのに。
パステルのことやみんなのことを考えて、おれは何もできなかったのに、お前はいとも簡単に――。
「パステルのことは、好きだ。ただ、おれはマリーナが…」
言いにくそうにつむいだトラップの言葉が途切れ、続きを思案するように再び黙り込んだ。
「いつからだ」
詰問するような高圧的な口調になっていることに、自分では気付いていなかった。
「子供の頃からだよ。おめぇはおれの気持ちも、マリーナの気持ちにも、ちっとも気付かなかったけどな」
気弱になっていたトラップに、思い出したかのような怒りが滲み出してきた。
目が吊り上り、眼光が鋭くる。
そこには、積もり積もった感情があった。
幼い頃からマリーナが好きだったトラップは、だからこそマリーナの想いにも気がついていたんだろう。
それに気がつかないおれへの怒りと、どうすることもできないやるせなさや、嫉妬があったのかもしれない。
おれが一方的に責められないといけないことではないだろうけど、それゆえにトラップは誰にもぶつけられない思いを抱えていたんだろう。
だけれど、それを負い目にパステルのことを諦めるつもりはなかった。
「マリーナのことは、過去形なのか?」
「…たぶん、な」
逡巡した後に、トラップはそう答えた。
それがトラップの今の正直な気持ちなんだろうが、そんな答えに納得はできなかった。
「おれはパステルが好きだ。他の誰でもない、パステルだけが好きなんだ」
「おれだって!」
「本当にそうなのか?」
噛み付いてきそうなほどの勢いがあるトラップに、念を押した。
「それは…」
トラップの顔が、再び苦痛にゆがむ。
「パステル一人だけを想えないようなお前に、パステルは渡さない」
本人を差し置いて渡すとか渡さないとか、普段のおれなら口にしたりはしないことだった。
だけど、トラップに渡したくはなかった。
おれが宣言すると、トラップは見たこともないような歪な笑みを見せた。
「マリーナとサラを振って、自分だけ幸せになるつもりか? マリーナの想いの深さも知らないくせに。女心のわからねぇお前に、誰かを幸せにできるのかよ。パステルもマリーナも、お前には渡さねぇ」
「どっちが大事かわからないような奴に、パステルを渡せるか」
お互いの間に、火花でも散っているかのようだった。
しばらくにらみ合い、どちらからともなく顔をそらし、別の方向へと歩き出した。
押し殺していた感情が、とめどなくあふれ出す。
もう、自分をごまかさなくていいんだという安堵と、親友と敵対している痛みが同時に押し寄せてくる。
それでも、そんな感情の渦に飲まれるわけには行かなかった。
心の痛みに構うよりも先に、パステルを見つけなければいけなかったから。
パステルが好きそうな店、図書館、喫茶店などをいくつも覗いてみたけど、パステルはどこにもいなかった。
はじめに行ったマリーナの店に、戻った方が良いのかもしれない。
あのときは、キットンとノルしかいなかったけれど。
方向を変えて、また歩き始めた。
勢いでパステルに告白することを決めたような形になったけれど、今ではしっかりと決意していた。
今までのように見守るだけのスタンスでは、おれに勝ち目はないから。
トラップに渡さないなんて言ったのは、少しだけ後悔していたけど。
迷うことは悪いことではないはずだ。
パステルとマリーナと、今はどちらがより大切なのかわからないのだろうけど、トラップはいずれは答えを出すだろう。
トラップが迷っている間に、出し抜くようなことをしてもいいのだろうか。
そんな疑問が芽生えもしたけど、トラップに遅れを取っている事実が、そんな迷いを消してくれた。
すぐにでもパステルにおれの気持ちを伝えなければ、パステルはトラップを選ぶだろう。
たとえトラップが、パステルを選ばなくても。
そんな確信めいた予感が、しきりにおれを急かす。
「パステル」
砂に囲まれた都市が赤く染め上げられる頃に、ようやくパステルの姿を見つけた。
おれは、パステルにずっと傍にいてもらいたいと思うから、ためらいや遠慮はもうしない。
「あ、クレイ。ちょうど良かった。そろそろ夕食にしたいから、みんなに戻ってきてもらいたいってマリーナが」
「わざわざごめんな。食事の手伝いはいいのか?」
「うん。下準備を手伝ったら、後はいいって」
「そっか。急いでるのに悪いんだけどさ。ちょっといいか?」
「今から?」
「あぁ。すぐに終わるよ」
パステルは沈み行く太陽を名残惜しげに見つめてから、軽く頷いた。
断られた後に、すぐみんなで夕食っていうのも気まずいかもしれないと気がついたのは、直後のことだった。
だけど、そんな細々としたことばかり考えるから、何も出来なくなるんだ。
絶好のタイミングなんて、向こうからやってくるわけがない。
そんなものを待ってる間に、もしも君が誰かのものになってしまったら。
おれの目の前から、いなくなってしまったら。
「向こうに行こうか」
マリーナの店の傍でパステルに告白するほどまでには、無粋ではないつもりだったから、パステルを少し離れた広場へと連れ出した。
だけど、気持ちの余裕なんかは全くなかった。
だから、気がつきもしなかった。
後から考えれば、確かにパステルはいつもより元気がなかった。
哀しみに沈んでいたことに、いつもであれば、気がつかなかったはずはないのに。
「突然、こんなことを言っても驚くだけだと思うんだけど」
「うん」
続く言葉を予想さえしていないだろうと思うと、少しだけ躊躇した。
真っ直ぐにおれを見つめる瞳には、しばらく会えなくなるかもしれない。
こぶしを握り締め、自分を奮い立たせた。
「おれは、パステルが好きなんだ」
一語一語をかみ締めるように伝えた。
パステルは、すぐには意味が分からなかったように、ぽかんとしていた。
それから数瞬の後――パステルはぎこちない笑顔を作って、「冗談だよね」と言おうとして、おれの真剣さに気がついたのか、ひどく傷ついたような顔をした。
聞きたくなかったとでもいうように、何度か首を横に振る。
「どうして」
かすれた小さな声は、それでも何とかおれの耳まで届いた。
「どうしてって、だから、おれはパステルが好きだから」
パステルは混乱しているようだったけれど、おれも混乱していた。
断られるか断られないかの二者択一だと思っていたのに、どうして傷つくのだろう。
どちらなのか言えば、それは明らかな拒絶の態度だったけれど。
やはり、仲間としてしか見られていなかったのだろうか。
そんな相手から想いを告げられるのは、傷つくようなことだったのだろうか。
おれ自身もパステルと同じような表情になっているのだろうと自覚はしていたけれど、それをどうにかしようとまでは思いいたらなかった。
太陽はすでに沈んで、薄闇に包まれた広場。
人気のない場所を選んだせいもあって、少し離れた道を通る人影が何度か目の端をよぎる程度だった。
張り詰めたような空気は、いつまでも続く。
――ごめんな、パステル。
そう言って、この場を終わらせようとした。
明確な返事を聞けたわけじゃないけど、喜んでいないことは一目瞭然だったから。
こんな顔をされてまで、望みを持ち続けられるわけがない。
「クレイ」
静かな声が、おれの名を呼んだ。
言いかけた言葉が飲み込まれる。
呆然自失となっていたパステルの瞳に、いつもの力が戻っていた。
だけど、その瞳は、おれを責めているかのようにも見える。
「どうして、マリーナのいるエベリンで。マリーナのことは、どう考えてるの?」
あぁ、そうか。
すでに遠く思えていたトラップに浴びせられた言葉が、鮮やかによみがえってくる。
「どうしてマリーナを振ったんだよ」
「あいつの何が気に入らないっていうんだ」
なんだ、パステルも同じなのか。
「マリーナとのことは、ちょうど今日、マリーナ本人に聞いたの。明るく話してくれた。吹っ切れたようにサバサバしてた。だけど、まだ平気なはずないのに。どうしてマリーナがいるときに、そんなこと言うの? そんなことが言えるの? シルバーリーブでいくらでも機会はあったじゃない。どうしてわざわざ、エベリンで」
よりにもよって、今日、聞いてたのか。
マリーナがおれに振られたことを、誰にでも吹聴するとは思えなかったから、どうしてトラップが知っているのかが疑問だったけど、これで理由がわかった。
パステルとマリーナはずいぶん仲が良くなったみたいだし、恋の相談なんてことをしていてもおかしくはなかった。
だからこそ、パステルには結果を伝えたのだろう。
トラップは二人がそんな話をしているのを偶然耳にして、おれを探し出して。
その先は繰り返すまでもない。
短く渇いた笑い声が、自分の口から発せられていた。
「クレイ?」
険しかったパステルの顔が、心配そうなものへと変わる。
「ごめんな、パステル」
親友が振られた相手に告白されて、それを受け入れられるわけがない。
パステルの性格上、そう思っても無理はなかった。
「今日、聞いてるなんて思わなかったんだ。冷静に考えれば、少しもおかしくないのにな」
手紙で伝えるようなことでもないだろうし、振られてすぐに言えることでもないだろう。
1ヶ月近く経って、心の整理がついたころにパステルと会えば、そういう話になるのは当然とも言えた。
どうしてそれくらい、考え付かなかったんだろうな。
思い返してみれば、夕焼けの中のパステルは哀しそうだった。
いつもの元気がないようにも見えた。
それは、マリーナからそんな話を聞かされていたせいだったんだろう。
「うん…。だから、ごめんね、クレイ」
パステルはそう言って、軽くうつむいた。
だから?
「だからってなんだ?」
心の中で思っただけのはずだった言葉が、パステルに向かって放たれていた。
「え?」
その顔に困惑が広がる。
「だから、マリーナを振ったんだよね。いくらマリーナが平気そうにしてたって、わたしがクレイと付き合うなんてわけにはいかないから」
『わかるでしょう?』とでも言いたげだった。
「なんでだ?」
「なんでって、だから」
「マリーナのことは、どうでもいいだろう?」
「どうでも? どうでもいいの?」
パステルの顔が、また険しくなった。
ころころと表情が変わる素直なところは、好きなところの一つだ。
だけど、今日に限っては、少しだけ無神経に感じた。
「おれは、パステルを好きだと言ってるんだ。パステルがおれをどう思ってるかが知りたいんだ。マリーナがどうとかじゃなくて、パステル自身はおれをどう思ってるんだ?」
「そんなこと、急に言われたって」
眉尻が下がり、困惑がまたあらわになる。
「返事はすぐじゃなくてもいいよ。だけどな、パステル。マリーナのことは抜きにして考えてもらいたいんだ。それで振られるなら仕方がないさ。だけど、マリーナが振られて可哀想だから、おれを受け入れられないなんていうのは、納得がいかない」
「でも…」
「でもじゃない。そうしてくれ。パステルはギアに告白されてたよな? それを理由にパステルが好きな奴に振られたらどうする? ギアが振られて可哀想だから、ごめんなさいと言われたら? それで納得するのか? そんなことで納得ができるのか?」
いつの間にかパステルの両肩をつかみ、畳み掛けていた。
「クレイ」
泣き出しそうなパステルを、それでも離さなかった。
「頼む。時間はどれだけかかってもいい。頼むから、おれとマリーナを切り離して考えてくれ」
さまようパステルの視線を、覗き込むようにしておれの視線と合わせた。
「おれに、マリーナを恨ませないでくれ」
「恨む、なんて」
おれがそんなことを言うとは思ってもみなかったんだろう。
青ざめたように見えるほど、パステルはショックを受けていた。
刺激の強すぎる言葉だったかもしれない。
そもそも、マリーナを恨むなんて筋違いだ。
マリーナはおれに恋心を抱いて、それをおれに告げたに過ぎない。
マリーナ本人よりも、その恋心にいつまでもこだわっているのは、むしろパステルとトラップの方だろう。
だけど、もしマリーナがおれを好きにならなければ。
もしも、マリーナがおれに好きだと告げなければ。
もしも、振られたことをパステルに話さなければ。
今、おれがこんな風に拒絶されることはなかったのだと思ってしまう。
誰かのために拒否されるくらいなら、潔く振られた方がましだと思った。
マリーナが今現在おれをどう思っているかも分からないのに、幻の恋心がおれの重荷になる。
「そんなこと、言わないで。そんな風に言ったら、マリーナが可哀想だよ。ごめんね、クレイ。マリーナは悪くないよ。わたしが勝手に言ってるだけだから、マリーナを恨んだりしないで」
体をねじっておれの手を両肩から外させると、パステルの瞳からぽろぽろ涙がこぼれた。
「わかってる。わかってるよ。ごめん」
親友のために流す涙から、目を逸らした。
マリーナを恨むなんて、よく言えたものだ。
自分のことは、都合よく棚に上げて。
おれがマリーナを好きになっていれば。
おれがパステルを好きにならなければ。
おれがもっと早くに、マリーナの想いに気付いて断っていれば。
そんな風にも、言えるはずなのに。
「ちゃんと考える。ごめんね、クレイ。ちゃんと考えるから」
「時間はどれだけかかってもいいからな。おれの方こそごめんな、きついこと言って」
パステルは首を横に振って、涙で濡れた顔を少しだけほころばせた。
「ううん。ギアはもうわたしのことなんて何とも思ってないと思うけど、ギアのことを理由に振られたら、わたしも納得がいかないもん。ちょっと考えれば、わかるはずだったのに」
「もういいよ」
パステルの頭をそっとなでた。
振られたことを聞いた直後じゃなければ、パステルの反応はもっと違っていたはずだ。
タイミングが悪かった。
言うなれば、ただそれだけのことだったんだ。
絶好のタイミングだと思っていたわけじゃないけれど、こんなときにもおれは運が悪いんだな。
「時間がかかるかもしれない。でも、待ってて。きっと、ちゃんとわかるから」
「わかった」
おれがそう告げると、「戻った方がいいね」と、パステルはマリーナの店の方角へと目を向けた。
そういえば、夕食だって言ってたっけ。
すっかり遅くなったから、マリーナたちに謝らないと。
おれが進みだしても、なぜだかパステルは立ち止まっていた。
「どうした?」
「ごめんね。先に、行ってくれるかな」
申し訳なさそうにパステルが謝る。
「おれが残るよ。こんなに暗くなってから、後で帰らせるわけにはいかないだろ。見えるところまでは、ちゃんと見てるから。後は明るいはずだから、大丈夫だよな」
いつかも、こんなことを言ったな。
今は、明るくても夜に一人で行動させたくなんかはなかったけど、今日は仕方がない。
「うん。クレイも気をつけてね」
素直におれの言うことを聞いてくれたパステルは、足早に駆けて行った。
…時間はかかるよな、やっぱり。
たとえどれだけおれが頼んでも、すぐに切り替えることが出来るはずがない。
一緒に戻って、勘の良いマリーナに何かを気付かれてしまったら、とパステルが不安に思うのも無理はない。
心の整理がついてからしか、マリーナには話せないだろうな。
「本当に、シルバーリーブにいるときの方が良かったな」
自分のことしか考えずに、親友を出し抜いた罰に思えた。
そのせいで、パステルまで傷つけてしまうなんて。
自分のうかつさと無神経さに、ひどく腹が立っていた。
その日の夜遅く、いつまでも戻ってこないトラップを、マリーナの店の階段の踊り場で待っていた。
夕食にも顔を出さなかったけど、一人で考えたいこともあるんだろうな。
トラップは、結論を出すのにどれくらいの時間がかかるんだろう。
物思いにふけっていると、ようやく階段を登ってくる音が聞こえた。
「どこに行って…どうしたんだよ、それ」
問う言葉が途中から変わってしまった。
扉の上についた明かりがトラップを照らすと、その頬がわずかに赤く腫れているのがわかったから。
「まだわかるか」
トラップは腫れた頬を指でかいて、おれの隣で手すりに身を預けた。
「ちょっと、マリーナにな」
「マリーナに?」
どこかで喧嘩でもしたのかと思ったら、相手はマリーナだったのか。
気の強いところはあるけれど、簡単に手を出すような子じゃないはずだけど。
疑問が顔に出ていたのか、トラップは答えを口にした。
「『わたしの気持ちをクレイの重荷にしないで!』って叩かれたんだよ」
「マリーナに話したのか」
「あぁ。マリーナのことがどうしても気にかかってな。お前と別れた後に『おれが何とかしてやる』なんて言っちまったもんだからさ。あいつの怒りようはなかったぜ。おかげで目も覚めたけどな」
言われてみれば、食事のときにも不在のトラップに、マリーナはいつもよりも辛らつな言葉を言っていた気がする。
それはこれが原因だったのか。
だけど、叩かれるべきはおれも一緒だな。
マリーナが想ってくれたことを、一時的にとはいえ重荷に感じてしまったのだから。
「昼間は悪かった。あいつはおめぇじゃねぇと駄目なもんだとばっか思ってたから。けど、今はもう、そうでもねぇみてーだな」
トラップは、ひどく嬉しそうに笑った。
胸のつかえが取れたような、それこそようやく重荷を下ろせたような、晴れやかな笑顔だった。
「もういいさ。おかげでおれも前に進めたしな」
パステルに告白できたのは、結果的にトラップのおかげだ。
「前に…って、まさか」
手すりから体を起こして、トラップはおれに詰め寄った。
「抜け駆けさせてもらったよ。それくらの差をつけさせてくれてもいいだろう?」
今までの差は、こんなものじゃ埋まらないだろうしな。
「冗談じゃねぇ。マリーナのことは、もう心配しなくても良さそうだからな。おれも誰が好きなのかはっきりしたんだ。負ける気なんかねぇからな」
「せいぜい頑張ろうぜ」
できるだけ、パステルの負担にはなりたくないけど。
おれはもう、パステルの傍にいることをためらったりはしないだろう。
「負ける気はない」と宣言しただけあって、トラップは次の日から終始パステルと一緒にいた。
シルバーリーブに帰ってからも、当然のようにそれは続いた。
時に笑い、時に怒るパステルの様子を見ながら、おれもたまに口を挟みはしたけど、トラップの邪魔をしたいわけではなかったから、そうそう頻繁に割り込むわけにもいかなかった。
それでも、チャンスがあれば話もするし、出かけるときは声をかけて一緒に行くようにしている。
パステルの取り合いをしているわりには穏やかな日々が過ぎ、二週間近くの時が流れた。
キットンには「クレイもですか」なんて呆れられてしまったけど、まだしばらくはパステルに構わせてほしい。
仲間も冒険も大事だけれど、今だけは順位をつけていることを許してもらいたい。
パステルの気持ちを、どうしても手に入れたいから。
気持ちを伝えたあの日以降も、パステルは極力普通にしてくれていた。
ほんのたまに、返事がまだできないことを気にしているのか、申し訳なさそうな顔を見せるときもあったけれど、すぐにいつもの笑顔を見せてくれる。
パステルも強くなったんだと実感して、想いはますます募っていった。
前ならきっと、結論が出るまではおれを避けていただろうから。
無理をしているのだろうけど、それでも笑ってくれるパステルがありがたかった。
おかげで、真剣になったトラップに遅れを取らないで済む。
これまで以上に積極的になったトラップは、パステルと誰かとのちょっとした会話のすきに入り込んで、たやすく主導権を握り、いつの間にかパステルとのじゃれ合いに持っていっていた。
パステルに触れることも多いけど、本人に不快感を感じさせたりはしない。
そんな風に女性の扱いに慣れたところも見せるかと思えば、ふいのパステルの笑顔から顔をそらしたりする。
トラップが赤くなっているのは、作戦ではなく本心からのもののようだった。
パステル自身が、そんなトラップに気がついていないのが、まだしもの救いだろうか。
「女性に手馴れている男が、自分にだけは純情な反応をする」なんていうのは、女の子には嬉しいことなんだろうから。
アプローチでは、どう頑張ったってトラップに勝てない。
トラップには悪いけど、パステルが鈍感で良かったと思う。
もしかすると、パステルも気がついているのかもしれないけど。
トラップは、いつ想いを告げるのだろう。
もう伝えてあるのかもしれない。まだ伝えられていないのかもしれない。
どちらだとしても、おれはおれで頑張らせてもらおう。
トラップとパステルが両想いになってしまったら、今ほどパステルと一緒にはいられなくなるのだから。
隣の部屋からは、二人の談笑が聞こえてくる。
キットンはこの部屋で作業をしているし、ルーミィとシロはノルのところだ。
本当に、隣の部屋には二人だけしかいないのだろう。
この間は邪魔をしてしまったから、今回は割り込むのは止めようと思ったけど、こんな風に押しが弱いからいけないんだと気が付く。
女の子はやっぱり、引っ張って行ってくれるような頼りがいのある男が好きなんだろう。
モンスターを倒すのもためらうような頼りない男じゃ、どう考えたって駄目だよな。
パステルには弱音を吐いた上に慰めてもらってるし、考えれば考えるほど自分が情けなくなってくる。
好きになってもらえる要素なんか、どこにもないじゃないか。
「ごめんね、クレイ。わたし、トラップが好きだから」なんて言われそうな気がしてくる。
もし本当にそう言われてしまったら、おれはどうするのだろう。
素直に二人を祝福できるのだろうか。
二人を目の当たりにして、平気でいられるだろうか。
いや、平気でいないといけないのだろう。
おれたちの恋愛のごたごたで、パーティを崩壊させるわけにはいかない。
すぐには祝福できなくても、二人を見るのが辛くても、我慢しないといけない。
それも十分に覚悟しておかなくてはいけないだろう。
二人の笑い声が、また聞こえてきた。
パステルからの返事をもらうのには、それからさらに長い時間が必要だった。
待つだけのその期間は、想像以上に辛く苦しかった。
告白をしたことを悔いそうになる時もあったけど、それでも仲間のままの方が良かったとは思わない。
実際よりも長く感じた時の末に、パステルはおれに返事をくれた。
「わたしね、ずっとクレイを意識してたみたい」
そんな言葉の後に、
「わたしが好きなのは、クレイだった」
人知れず悩み続けて、少しやつれたようにさえ見えるパステルが、それでも満面の笑顔を見せてくれた。
パステルを抱きしめて、その耳元に「幸せにする、絶対に幸せにするから」と繰り返した。
「わたしもクレイを幸せにする」と繰り返すパステルの声は、いつしか涙まじりになっていた。
しばらくはパステルと二人で過ごしたけれど、トラップのことが頭から離れることはなかった。
おれと同じようにパステルを想っていたトラップ。
あいつは気持ちを告げていたのだろうか。
それとも、まだ告げる前だったのだろうか。
一時的に、トラップがパステルの傍にいなかったことがあったから、あの時に告げたのかもしれないとは思ったけど、実際のところはどうなのだろう。
パステルに聞けることではないし、おれとトラップの問題だ。
だけど、おれからトラップに何が言えるんだろう。
謝ったりしたら、トラップが怒るだけだ。
両想いになったことをわざわざ報告するのも気が引ける。
かと言って、他の誰かからおれとパステルのことを聞かされたくはないだろう。
もし、おれがトラップの立場だったら。
おれは、トラップにどうしてほしいと思うだろう。
しばらくは、そっとしておいてもらいたいだろうか。
トラップ自身の口から聞きたいと思うだろうか。
聞かされた場合に、何と答えられるのだろう。
祝福はできなくても、笑顔を作ることはできなくても、それでも「良かったな」くらいは言えるのだろうか。
トラップはどうしてほしいと思うだろう。
おれなら、どうしてほしいと思うのだろう。
悩んだ末に、男部屋の前に立った。
おれとパステルの二人と顔を合わせるよりも先に、トラップに告げた方がいいと思ったから。
鋭いトラップに、自分から気付かせるような真似はさせたくない。
いつものように、ノックもせずに戸を開ける。
うたたねをしているトラップだけが、その部屋にいた。
「トラップ」
声をかけて、体を揺すろうとしたところで手が止まった。
気持ち良さそうに眠っているトラップを起こして、これから自分が何を告げるつもりであるかを思い返す。
「ごめんな」
謝ることじゃない。
そうわかっていたはずなのに、気がつけばそんな言葉がもれていた。
起きているときには言ってはいけないことだから、寝ているときに言ってしまったのかもしれない。
トラップとのたくさんの思い出が頭の中を駆け抜けていく。
幼馴染で親友で、いつでも一緒だった。
お前には何でも言えたし、お前も何でも言ってくれた。
何回喧嘩しても、いつでも仲直りできた。
これからも、そういられるのだろうか。
これからも、パーティで共に戦えるのだろうか。
これからも、笑い合えるのだろうか。
トラップを起こすために、手が伸びた。
「どうした?」
あくびをかみ殺しながらトラップが聞く。
しばらくかかった末に起きたトラップは、そう機嫌が悪そうでもない。
「悪いな、起こしたりして」
「構わねぇよ。何か用でもあるのか?」
「ちょっとな」
すっと息を吸い込んで、細かく振るえる手を握り締めた。
真っ直ぐにトラップを見つめる。
「パステルに…気持ちを伝えられたんだ。お前には、知らせておこうと思って」
間があった。
特に驚いた風でもなく、弛緩していた表情が少しだけ引き締まった程度の変化しかなかったけれど。
それでも、開きかけた口はためらうように言葉を発しない。
「そっか」
ひどく簡潔に、トラップはそれだけを言った。
「トラップ。おれは」
「わかってるよ」
続けようとした言葉はさえぎられた。
だけど、トラップは言葉通りにわかっているのだろう。
おれとパステルが両想いになった現実も。
それでもおれが、トラップと共にありたいと思っていることも。
おれがトラップに、軽い罪悪感を抱いていることさえも。
トラップはそのまま、また黙り込んで、おれもそれ以上は何も言わなかった。
静かな時間が流れていく。
パステルやノルとなら、こんな時間を共有したこともあるけれど、トラップとははじめてだった。
今、トラップは何を思っているのだろう。
パステルのことなのか、おれのことなのか、これからのことなのか。
その全てであるだろうと、おれは思った。
トラップはおれを見ずに、おれもトラップは見ずに、時間だけが流れていく。
緊張感のある静寂は、それでも嫌なものではなかった。
トラップにとっては、どうなんだろう。
今は、一人でいたい時間だろうか。
「良かったな」
声に、視線の先をトラップに戻した。
「良かったな、クレイ」
トラップは笑ってはいなかった。
だけど、瞳は優しげに細められていた。
「……トラップ」
ありがとう、と言いたいのに、言葉が出ない。
まさか、いきなりその言葉を言ってくれるとは思ってなかったから。
「なに泣きそうな顔してんだよ」
トラップは呆れたように短く笑った。
「そうだよな。悪い」
涙がにじんだわけでもないのに、思わず目元をぬぐった。
「ありがとう、トラップ」
「いいって。わかってたことだしな。そのわりには、たかが一言がなかなか言えなかったけどよ。おれも結構、情けねぇのかもな」
トラップは自嘲したけれど、それはきっと当然のことだ。
おれもすぐには言えないだろう。
それどころか、トラップの目の前から逃げ出してしまったかもしれない。
「おれさ、もうパステルに振られてたんだ」
トラップが窓の方に目を向けて話し出した。
「ちょっと前になるんだけどな。告白したらあっさり振られた。少しは迷うかと思ったけど、あの時点でパステルは、自分が好きだとしたらお前だけってのは、わかってたんだろうな」
「そんなことがあったのか」
「あぁ。パステルがお前に言うのが今日までかかったのは、おれのせいかもしんねーな。おれを振ってお前を受け入れたりしたら、おれが余計に傷つくとか何とか、あいつなら考えそうだし」
少しやつれて見えたパステル。
その葛藤の中には、トラップへの気遣いが多く含まれていたんだろう。
それでも、逃げたりせずにおれに返事をくれた。
パステルにとって、それはどれほど勇気のいることだったのだろう。
パステルの想いを改めて実感して、胸が熱くなってくる。
「だから、お前がパステルとのことを教えてくれて、ほっとした部分もあったんだ」
自分が振られても、パステルとおれのことを気遣っていてくれたんだな。
自分のせいで、おれとパステルが上手く行かなくなってしまったら、と。
パステルに振られたときとは違う、また新しい傷も作ってしまっただろうけど。
それでも、同時に安堵も与えられたのなら、それはひどく嬉しいことだった。
「おれも、言えて良かったよ」
言うべきか言わないべきか、迷いに迷った。
だけど、最終的に言えたのは、トラップへの信頼があったからこそだ。
トラップならきっと乗り越えてくれると、無責任だとそしられても仕方のないくらい信じているから。
言えて良かったと、今は心からそう思う。
「おれなら、お前に言えなかったかもしんねーな」
トラップはそんな風に返してきた。
だけど、トラップが言わないわけはない。
トラップがおれの立場だったら、おれほど迷いもしないだろう。
トラップが言いたいのは、そんなことじゃなくて。
「ありがとう」
と、そう言いたかったんだろう。
今はまだ、おれに向かってそんなことが言えるはずもないけど、長年の親友の言いたいことくらいはわかった。
「おれの方こそ、ありがとな、トラップ」
おれが言うと、トラップはやっとおれに顔を向けた。
「これからもよろしくな、相棒」
そこには、笑顔があった。
END
――――あとがき――――
大変遅くなりましたが、25700HiTのN.Merryさんのリクエストの「クレパスならなんでもOK♪」です。
メインはクレパスというよりも、クレイとトラップになってしまいましたが、大丈夫でしょうか。
もうちょっとパステルも登場させられると良かったのですが。
本当に遅いですが、N.Merryさん25700HiTおめでとうございます!!
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