家族


いつからだろう。
その扉を自分の手で開くことに抵抗を覚えなくなったのは。
そんなことを思いながら、パステルは軽く感じるようになった扉を開けた。
「ただいま」
奥まで聞こえるように声を張り上げると、小さな声が返ってきた。
その声も、奥では彼女の声に負けないくらい大きなものだったのだろう。
「荷物はおれが持ってくよ」
後ろからの声に、パステルは慌てて玄関に入り、振り返った。
「一人で行くの?」
「みんながパステルを待ってるんだろうからな。おれは後から顔を出すよ」
「わかった。早くね」
「あぁ」
パステルは夫へと荷物を渡し、一足先に家人に挨拶をするために長い廊下へと足を向けた。
「迷わないよな」
「一直線なんだから迷ったりしないよ」
一直線でなければ自信がないことを言外にほのめかし、彼女は夫の苦笑に笑ってみせた。
「すぐ行くよ」
「うん」
しばしの別れすら惜しむように目線を交差させる。
新婚とは言えない年月を経てもなお、初々しさの残るクレイとパステルは、頬を赤く染めながらそれぞれの行く先へと向かった。

彼女は廊下を突き進み、広間へと到着した。
ノックの後に扉を開く。
「ただいま」
同じ言葉を繰り返すと、
「おかえり」
さきほど聞こえてきた言葉が繰り返された。
「おにいさんたち、帰ってきてたんですね」
「パステルが来るとなったら任務を放棄してでも帰ってくるさ」
彼女の義理の兄であるアルテアが颯爽と立ち上がり、パステルの手を取った。
「仕事、いいんですか?」
毎度のことになってはいても手を取られることにドギマギしながら、パステルはアルテアの整った顔を見上げる。
「任務が一段落したところだったんだ。アルテアの言うことなんか本気にすることはないよ」
椅子にかけさせてもらったパステルは安心したように、アルテアと同じく義理の兄にあたるイムサイに向けて顔をほころばせた。
アルテアはパステルの横の席に腰を下ろすと、パステルの方へと身体を向けた。
「パステルに心配かけるようなことはしないよ」
「信じてます」
「クレイは部屋に行ったのかい?」
「はい」
アルテアに向けていた顔をイムサイへと移す。
面白くなさそうなアルテアが再びパステルの気を引く。
気を引くわけではなく、イムサイがパステルに話し掛ける。
そんなやり取りがしばらく続いた。

「何してるんだ、お前たち」
アルテアへ、イムサイへと交互に向けられるパステルの顔。
まるで取り合いのようにパステルに話し掛ける息子たちの様子がおかしかったのだろう。
アンダーソン家の当主は苦笑いを顔に浮かべて広間へと入ってきた。
「おとうさん。お帰りだったんですね」
嬉しそうに笑いながらパステルが当主の下へと駆け寄る。
二人の息子たちも父と弟の妻へと笑顔を送っていた。
「ラッキーだったな、パステル。父さんはおれたちより家にいることが少ないんだから」
「クレイは父さんみたいに奥さんを寂しがらせないといいな」
「おい、イムサイ。人聞きの悪いことを言うんじゃない。父さんと母さんは離れていても確かな愛情で結ばれているんだ。寂しい思いなんてさせてないぞ」
苦言を述べる父親に、息子たちはいつまでも新婚のようだと笑い合っていた。
「それはそうとパステル。クレイの奴はいい旦那でいるかな。あいつは女性の気持ちがいまいちわかっていないようなので心配でね」
「クレイはいつもわかってくれてますから大丈夫です」
「そうかい? 妻がいいからクレイも余裕を持てるんだろうな」
二人ともにこにこと笑いながら、並んでソファにかけた。
「わたし、お茶をいただいてきますね」
座ったかと思ったらすぐに立ち上がり、パステルは義父たちのために台所へと向かった。

「パステルは気が利くな」
「ほんとにね」
「クレイの奴、羨ましいよな。あんなかわいい奥さんがいて」
「お前たちも早く結婚すればいいじゃないか」
口々に弟をうらやむ声に、父親が呆れる。
それなりの年齢になっているにもかかわらず、イムサイもアルテアもまだ結婚はしていなかった。
「お前は相手がいるんだろう?」
イムサイに向かって口を開く。
「いますけどね。そういう話はまだ先ですよ。おれは首都とここを行き来してるし、彼女の故郷はまた別にありますので」
「何もドーマに落ち着かないといけないこともないだろう。ドーマよりも首都にいることの方が多いなら、首都に落ち着いてもいい」
「そうは言っても。クレイもガイナだし、アルテアは当てにならないし」
イムサイは困ったように端正な顔をゆがめた。
「そりゃないだろう、イムサイ。おれだっていずれは結婚するよ」
「そうだろうけどな…」
「お前は特定の相手と付き合うことをまず覚えるんだな」
父親は今度は長男へと矛先を向けた。
「親父までそんなこと言うのかよ」
「違うのか?」
父親の追及に、アルテアは観念したように両手をあげた。
「そのうちにね。今はおれよりイムサイだ」
ごまかすようにイムサイへと話を振る。
「おれもそのうちだよ」
「今度、連れて来たらどうだ」
「おれも会いたいな」
「わかったよ」
イムサイがうなずくのと同時に、扉が開いた。
「父さんもいたんだ」
顔を出したのは荷物を置きに行っていた末息子だった。
「あぁ。久しぶりだな、クレイ」
「元気そうで良かった」
「まだまだお前たちには負けないさ」
クレイは、先ほどまでパステルがいた場所に座った。
「パステルならお茶を入れに行ってるよ」
「母さんに捕まってるだろうな」
見回すまでもなくパステルがいないことには気づいていたクレイだったが、兄たちに言われて納得したようだ。
「おれは別に、四六時中パステルの居所を把握してないと気がすまないわけじゃないよ」
気恥ずかしさからか、そんなことを言った。
「ふぅん。じゃあ夕食後にパステルに付き合ってもらうか。クレイは来なくていいからな」
「アルテア兄さんと二人なのは心配だな」
「パステル一人の方がいいってのか」
「一人でこの家を自由に歩き回ってもらえるのは嬉しいからね。自分の家だと思ってもらいたいよ」
「クレイもずいぶん余裕が出てきたじゃないか」
イムサイが口をはさんだ。
「さんざんアルテア兄さんにもトラップにもからかわれてきたから、少しはね」
「昔は純粋でかわいかったのになぁ」
「その純粋な弟で遊んでたのは兄さんだろ」
そんな言い合いをしているときに、パステルが出て行った方の扉がノックされた。
「お待たせしましたー」
「わたしもお邪魔するわね」
パステルとクレイの母親が連れ立って室内へと入ってくる。
「またケーキを焼いてたのか」
「えぇ。あなた、お好きでしょう? アップルパイよ」
「お。そうなのか。ならいただこうかな」
嬉しそうに皿に手を伸ばす。
「母さん、こっち来る?」
クレイが父の横の席を譲るように立ち上がった。
「あら、いいのに」
口ではそう言いながらも、いそいそと夫の隣へと移動した。
パステルはアンダーソン夫人の横に、クレイはイムサイの横へと座った。
「イムサイ、クレイに席を譲ってやれよ。お前が母さんの隣に行けばクレイとパステルが並んで座れるだろ」
アルテアが弟の横っ腹をこづいた。
「代わるか?」
にやにやと笑うアルテアとは対照的に、真面目な顔をしたイムサイがクレイの顔を見た。
「いいよ。アルテア兄さん、からかうのは止めてくれって言ってるだろ」
パステルの前でからかわれたのが恥ずかしいのか、クレイは顔を赤らめて兄をたしなめた。
「お前だって、母さんに席を譲ったじゃないか」
「母さんと父さんはずっと一緒にいるわけじゃないだろ」
騎士として首都とドーマを行き来する父とガイナの町で働く自分とは違う。
クレイが言外にそんなことをほのめかしていた。
「あらあら。そんなこと気にしなくていいのよ。でも、ありがと、クレイ」
にこにこと喜ぶ母から、照れくさそうに顔をそらすクレイ。
「おとうさん、おかあさん、どうぞ」
切り分けたアップルパイをパステルが義父と義母の前へと並べた。
「おっ、悪いな」
「ありがとう、パステル」
義兄たちにも皿を回し、最後にクレイの前に置くと、残りは手元の自分用のものと、もう一つだけとなった。
「おじいさんに持っていきますね」
「パステルはさっきから働いてばかりじゃないか。アルテア、お前が持っていきなさい」
立ち上がりかけたパステルを制し、クレイの父が目の前の長男に目を向けた。
「はいはい。わかりましたよ」
アルテアは素直に立ち上がると、パイを持って部屋から出て行った。
「いいんですか?」
「いいの、いいの。アルテアもイムサイも数日前から帰ってきてるのよ。何もしてないんだからたまには手伝いくらいさせなくちゃ。次に働くのはあなたよ、イムサイ」
「わかってるよ。だけど、骨休めに来てて『何もしてない』はないだろう」
「積極的に手伝ってくれたっていいのよ。言わないと手伝わないんだから」
軽くにらむ母に、イムサイを含めて全員が笑顔を返した。
「そういえば、おじいさんはやっぱりおかあさんのパイしか甘い物は食べないんですか?」
「あぁ。甘い物自体、それほど好きじゃないみたいだからな」
夫の後を妻が受け継いだ。
「クリームみたいな甘さはお好きじゃないみたいなの。でもパイは嬉しそうに食べてくれるのよ。あなたと好みが似てるのよね」
最後は夫に向かって告げる。
「あの爺さんがパイを食べてるとこって想像できないけどな。いつも一人で食べてるしさ」
「何かとお忙しいみたいだから、食事のときしか一緒に食べないのよね。食後すぐにデザートにするときでもお部屋に持っていっちゃうの」
「引退してるわりによく働いてるよ。ドーマの街のことを常に気にかけてるし」
一人一人にうなずきを返しながら、パステルは照れ屋で不器用な、優しい義理の祖父に思いを馳せた。
「クレイ、後でご挨拶に行こうね」
「そだな」
紅茶を飲むクレイがパステルの言葉に同意した。

アルテアが部屋に帰ってきて、しばらくの間は雑談に花が咲いていた。
「それじゃ、おれたちは爺さんとこ行ってくるよ」
クレイがそう立ち上がり、パステルと共に祖父の部屋へと向かった。
「この後は図書館だな」
クレイの実家に帰った時は、必ず図書館に寄りたがるパステルを先回りするようにクレイが言った。
「うん。クレイは好きなことしてていいよ」
「そうだな。けど、別にこれといった用もないし、付き合うよ。数日間は泊まるんだしさ」
「クレイも本が好きになったもんね」
パステルの影響か、結婚してからはクレイも本を好んで読むようになっていた。
暇を見つけては、パステルが借りてきた本に手を伸ばしている。
デュアン・サークやクレイ・ジュダの話などはとうに読み終わり、あまり知られていないファンタジーを探し出しては読んでいた。
「パステルがあれだけ楽しそうに読んでるんだからな、そりゃ気にもなるよ。パステルが書くものも読んでたしな」
「クレイが一番の読者だもんね」
小説家を続けているパステルは、自身たちの冒険を書き終えた後は、創作ファンタジーを提供し続けている。
「あいつらも読んでるし、みんなが本を読むようになったんだよな」
冒険を終えて散り散りとなったパーティメンバーたちは、それぞれに生活を続けながらも、ごくたまに全員で会っていた。
パーティの冒険ではなくなったパステルの小説を、それでも全員が読んでいることを知ったのは前回の再会時だった。
涙もろさも変わらないパステルが涙を浮かべると、仲間たちは全員が当たり前だと言ってさらにパステルを泣かせていた。
お互いに仲間へと思いを巡らし、懐かしさを持て余す内に祖父の部屋へと到着した。
数年前まではこの部屋の前に立つと表情の硬くなっていたクレイも、今では緊張の欠片もなくなっていた。
祖父に対する尊敬と信頼がその顔には表れてはいたが。
ノックをすると、以前よりは柔らか味を帯びた声が返ってくる。
二人は笑顔で部屋の中へと入っていった。

祖父への挨拶を終え、クレイとパステルは予定通りに図書館に向かった。
他に誰もいない図書館では、目当ての本を抱えたパステルとクレイがお互いに向き合って椅子に座り、静かに本を読んでいる。
「ねぇ、クレイ」
読んでいた本から顔をあげたパステルがクレイを呼んだ。
「なんだ?」
本に視線を落としたまま、クレイが尋ねる。
「わたしね、クレイの家族になれて本当に嬉しいよ」
「なんだよ、いきなり」
ページを繰る手を止めて、クレイは本にしおりをはさんだ。
「うん。なんかね、そう思ったから。おとうさん、おかあさん、おじいさん、おにいさんたちってみんな素敵で、わたしを心から歓迎してくれてて、本当に嬉しいなって思ったんだ」
「パステルなら歓迎されるさ。はじめから好かれてたんだしな」
本を机に置いたクレイは、椅子を移動させてパステルの横に並んだ。
「わたしもおかあさんもおにいさんも素敵だなって思ってたよ。おじいさんは頑固な人だって思ったけどね」
「ま、それはしょうがないよな。実際、今でも頑固なんだから」
「そうだね。でも素敵だよ」
「本人に言ったら、爺さん何て言うだろうな」
クレイの言葉にひとしきり笑った後、パステルが静かに話し出した。
「わたしさ、またこんな風に新しい家族ができるなんて思ってなかったんだ。『おとうさん』とか『おかあさん』って呼べる人ができるなんて思ってなかった。変だよね、結婚なんてたいていの人はするものなのに」
クレイは黙ってパステルの横顔を見つめていた。
「結婚するってことが頭になかったっていうより、結婚しても義理の父と母ができるだけだって思ってたんだろうな。だけど、クレイと結婚してからは本当のおとうさんとおかあさんができたみたいだった。おかあさんの手料理をはじめて食べさせてもらったときのことは今でも覚えてる。お母さんの作った料理と同じ匂いがしたの。あったかくて優しくて、懐かしい雰囲気だった。パーティも家族みたいなものだったけど、両親と子供がいる家庭とはまた違うじゃない? その雰囲気がすごく嬉しかった」
「母さんは明るくて気さくだったからな。頑固な爺さんがいたわりには悪くない雰囲気を作ってくれてたんだな」
厳しい義理の父の元でクレイの母がどれほどの苦労をしたのかはわからない。
それでも、自分の母が祖母から受けていた苦痛を思えば、自然と尊敬の念が沸いてくるパステルだった。

「本当の両親とはもちろん違うんだけど、お父さんとお母さんもわたしが結婚したらこんな風だったのかなって思えるんだ」
パステルはクレイと視線を合わせた。
「だから、クレイの家族になれて良かった」
「パステルの家だって同じだけどな。はじめて家の中に入れてもらったときもさ、ご両親はもういらっしゃらなかったけど、面影があちこちにうかがえた。ジョシュアさんもいい人だったし、パステルは愛されてるんだってことがわかったよ。あの家の雰囲気がパステルのご両親のまとう雰囲気だったんだろうな」
「クレイにもわかってたの?」
はじめてクレイたちがパステルの家を訪れたときは、パステル自身の傷がまだ癒えていなかった。
残る面影は、パステルにとっては受け止めるには辛すぎるものだった。
笑顔の両親の記憶がありありと思い出せることを、幸せだと思えるほど回復してはいなかったのだ。
自分の感じ取った面影を、クレイもあの時に感じていたというのは意外なことだった。
「おれだけじゃなくてトラップもルーミィたちもわかったんじゃないか? キットンたちだってはじめてパステルの家に行ったときには感じたんじゃないかな。おれたちは誰も直接はパステルの両親に会ってないけどさ、どういう人かはなんとなくわかってるような気がするんだ。おれが住むようになっても歓迎してくれたと思うよ」
「クレイならお父さんもお母さんも大歓迎だよ」
濡れ始めた瞳を乾かすように、何度かまばたきを繰り返してからパステルは笑った。
泣き出したいのを無理に笑顔にしたような表情ではあったが、そんな笑顔もクレイは黙って受け入れていた。
泣くべきでないときに、涙を我慢することもあるだろう、と。
「帰ったら墓参りに行こうな」
「そうだね」
おとうさんと仲良くしてることを報告に行こう。
おかあさんと一緒に台所に立ってることを報告に行こう。
お父さんとお母さんの分も、愛してもらっていることを知らせに行こう。
パステルはそう心に思うと、気分を変えるように勢いよく椅子から立ち上がった。
クレイの視線がつられてあがる。
「そろそろ夕食の準備の時間だから、おかあさんのとこに行くね」
「あぁ。本は部屋に運んどくよ」
「ありがとう」
満面の笑顔を見せて、パステルは駆け出していった。


END





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