半年前のあの日のことは、今でも鮮明に覚えている。
本当はまだ告げるつもりじゃなかった。
寝付かれない夜に水でも飲もうと起きだし、旅館の台所に行くと君がいた。
それはほんの偶然の出来事に過ぎなかったのだろう。
だけど、あのときはそれがひどく意味ありげなことに思えた。
君とおれとが、共有するはずのない時間を共に過ごしていることに、気持ちが高揚したのかもしれない。
「好きなんだ」
なんの脈絡もない言葉が、意外なほどすんなりと口をついて出ていた。
特別な意味をこめた言葉だとは思わない君が、的の外れた答えを返し、おれは再度同じ言葉を繰り返した。
怖がらせるほどに真剣な顔をしていたんだろうか。
君はほんの少しだけ怯えたような色を見せた。
出会ってから今まで、少なくともおれがそんな顔を向けられたことなど一度もなかったのに。
そんな君の態度に、おれは我に返り、謝って笑ってごまかそうとした。
今までの関係を壊してしまわないために。
これからも仲間として傍にいるために。
何よりも君を怖がらせないために。
だけど、鈍いと思っていた君でさえ、慌てたおれの嘘に騙されることはなかった。
ぎこちない笑みを懸命にその顔に浮かべ、
「わたしも」
と、普段の君からは想像もできない、消え入りそうな声でつぶやいた。
信じられない思いで立ち尽くすおれをみて、君はようやく緊張を解いた笑顔を見せてくれた。
「信じられない?」
尋ねる君に、おれは何度も首を横に振った。
あれから、おれと君はそれまでとは違う関係になった。
なったはずだ…とは思ってるんだけどな。
もしかしたら、君は違っていたんだろうか。
「もうすぐクレイの誕生日だね」
語りかけてくる君の様子は、半年以上前となんら変わりがない。
時間はおれに多く使われることもなく、ルーミィたちとの時間を何よりも大切にしているようにさえ思う。
ただの嫉妬に過ぎないとわかっていても心は痛んだ。
変化を望むおれが間違ってるんだろうか。
暇が合えば同じ時間を同じ場所で過ごしたいと思うのは、おれだけなんだろうか。
仲間たちがいるのに、特別な関係になろうとしたおれが間違っていたんだろうか。
「パステル、ちょっといいか?」
ルーミィたちを寝かしつけ、これから寝ようとしていたパステルを部屋の外に呼び出した。
「寒くないか?」
「ちょっと寒いかな」
すきま風が吹き込む廊下は、外ほどではないにしろ肌寒さを感じさせる。
寝間着姿のパステルはおれよりも寒いだろう。
手にかけていたマントをパステルの肩にかけた。
「ありがとう。でもクレイは? マント持ってこようか?」
「平気だよ」
「風邪引かないでよ」
「大丈夫だって」
「何か用なんだっけ」
無邪気に問い掛けるその言葉に、笑っていたはずのおれの表情が硬くなった。
パステルのこういう何気ない一言が、ひどく気にかかるようになったのはどれくらい前からだろう。
何らおかしくはない言葉にすぎないのに、過敏に反応してしまう。
「用がなかったらおかしいか?」
知らず、険のある言い方になってしまった。
「おかしくはないけど」
パステルを呼んだのは、おれの思いを伝えるためだった。
仲間たちにまで嫉妬していることや、もっと二人の時間を持ちたいことを洗いざらい話すつもりだった。
それなのに、言葉が出てこない。
パステルの一言がおれを拒絶しているように聞こえたせいかもしれない。
用がないなら呼ばないで欲しいとでも言われたような気分に陥ってるのだろう。
馬鹿馬鹿しいと一笑に付してしまえることのはずなのに、今のおれにはできなかった。
用意していたはずの台詞は喉に張り付き、何から言えばいいのか考えているのに、何一つ思い浮かばない。
「どうかしたの?」
しばらくの沈黙に耐えられなくなたのか、パステルがおれの顔を覗き込んだ。
そんな一言もまた、緊張の糸が張り詰めた状態のおれにはこたえた。
「何か話してないと駄目なのか?」
「そんなことないけど。なんかいつもと違うから」
目を泳がせるパステルの顔を今度はおれが覗き込んだ。
「黙ってると苦痛になるか?」
恋人同士なら、黙っていても苦痛になることはないと思っていたのに。
パステルの方から、何か話してくれてもいいはずなのに。
そんな思いが胸に広がっていく。
「そんなこと」
パステルの顔が辛そうに歪んだ。
「何かあったの?」
理不尽なおれの追及にも、パステルは顔を上げ、おれのための言葉を紡いでくれた。
パステルの一言が今度はおれを癒していく。
ささいな言葉に一喜一憂する自分がひどく愚かしく思えた。
同時に、パステルに対する自分の態度を反省した。
「ごめん」
頭を下げると、パステルがおれの肩をぽんぽんと叩いた。
「嫌なことでもあった?」
おれの態度がおかしいのは、嫌なことでもあったんだろうと半ば納得したパステルが安堵の息をつく。
「違うんだ」
苦しげにつぶやき、一呼吸を置いた。
それから、今までの思いをパステルに話した。
つかえたり、言葉を探したりして時間がかかったけれど、パステルはじっと話を聞いてくれた。
途中で言葉を発しそうになるたびに、パステルは自分を押しとどめているようだ。
おれの話をさえぎることは一度もなかった。
話し終わると、パステルはすまなそうに縮こまった。
「クレイがそんなこと考えてるなんて気付かなかった」
「言わなかったんだから、気付くわけないさ」
言わなくても気付いて欲しいとまではさすがに思ってはいないから。
「そうだけど。でも、どうしたらいいんだろ」
パステルは腕を組んで考え込んでしまった。
パステルがおれとの時間をもう少し長く持ちたいと思ってくれればいいけど、今おれが言ったせいで義務のようにそんな時間を作ってもらっても意味はないだろう。
むしろ、そんなことをされたら余計におれが傷つくだけだと思う。
「パステルはどうしたいんだ? おれに何か望んでることはあるか?」
おれの望みとパステルの望みの違いを知らなくては、解決にはいたらない。
そう思って聞いたおれの言葉にパステルは「うーん」と、うなる。
「…今のままがいいかなぁ」
しばらくの後に少し申し訳なさそうにパステルがおれを見た。
「今のまま、か」
落胆の色は隠すように少しだけ上を向いた。
細く開いたドアからの明りで、しみの浮いた天井の色がかろうじて識別できた。
トラップたちはまだ起きてるんだろうか。
この場には無関係なことが頭をよぎる。
仲間たちがいるんだから、今のままを望まれてもしょうがないとは思うし、いかにもパステルが言いそうなことだとも思う。
だけど、それは…。
パステルに目を戻した。
「それはただの仲間とは違うのか?」
「違うよ」
即答して真っ直ぐな瞳でおれを見つめるパステル。
おれのことを特別だとは思ってくれているんだろう。
その思いは伝わってこないでもない。
だからこそ態度で示す必要がないと思っているのかもしれない。
「いつも近くにいるんだから、今はそれ以上に望むことはないよ」
トラップとマリーナの遠距離恋愛の苦労を忘れ、離れればもっとおれを必要としてくれるのだろうかと一瞬考えてしまった。
くだらない思いを払いのけるように頭を振る。
好かれていないわけじゃない。
ただ、パステルは現状に満足していて、おれはしていない。
その違いがあることは理解できた。
残念な思いも心の底にくすぶっているけど、仕方のないことだよな。
おれはおれでパステルはパステルなんだから、違いがあって当然なんだ。
「パステルの考えはわかったよ」
「わたしもクレイの考えてることはちゃんとわかったよ」
思いを伝えたことも伝えてもらったことも無意味ではなかった。
お互いへの理解が少しだけ深まり、二人だけの時間も持てた。
これからどうなるかはまだわからないけど、また何かあったらこうして話そう。
多少の不安は残るものの、話す前よりはだいぶすっきりした気分で、それぞれの部屋へと戻っていった。
翌日からは、おれはパステルを意識しすぎないようにして、パステルは前よりはおれを気にしてくれるようになった。
少しだけの歩み寄りでも確実に変わった現状に、おれもしだいに満足するようになってきていた。
そんな矢先に、おれの十九回目の誕生日を迎えた。
今年は忘れられることもなく、パステルもはりきっていたから、数日前から楽しみにしている。
ところが、バイトが終わって、パーティ会場だと指定されたみすず旅館の食堂に行くと誰もいない。
暗い室内には装飾の一つもなされていなかった。
おれが出かけた後で、パステルたちが飾りつけでもしてるのかと思っていたから、拍子抜けした。
他の奴らはまだ仕事をしてるんだろうか。
普段はバイトからの帰りが遅いのはおれかノルのはずなのに、と首をかしげながら階段を上る。
少なくともパステルたちは部屋にいるだろう。
今日は原稿を書くとは聞いてなかったけど、急な用事でも入って忙しかったのかもしれない。
そんなことを考えてノックをして戸を開けると、テーブルの上に片隅に置かれたポタカンが暖かそうな光を投げかけていた。
四隅にまで届かない光の中に、パステルが一人で立っていた。
テーブルの上にはポタカンの他に、豪華なごちそうが並べられている。
中央には花をいけた花瓶までしつらえてあった。
「誕生日おめでとう、クレイ」
呆然としているおれに柔らかく微笑んだパステルは、いつもより大人っぽく見える。
どうしてなのかと思考を巡らせるまでもなく、それが服装によるものだと気がついた。
いつものミニスカートではなく膝が隠れるくらいのワンピース姿。
髪はまとめて上にあげていた。
それ以上の飾りつけは何もしていないのに、普段より弱い光芒のせいだろうか。
輪郭のぼやけているパステルの表情に、艶っぽさすらうかがえるようだ。
「綺麗だな」
「そう? 照れるんだけどね」
スカートのすそをつまみ、少し広げて見せた。
照れたように笑うパステルの顔が平常のものへと戻る。
「みんなは?」
「わたしがわがまま言ってね、二人だけのパーティにしてもらったの。クレイも座って、座って」
腕を取られて、椅子まで引っ張られる。
そんなところは服装と違っていつも通りだったけれど、そうしてくれた方が安心する。
外見はいくら変わっても、中身は急激に変わってほしくはないから。
「パステルが言い出したのか?」
おれを座らせてから自分の椅子に向かおうとするパステルを引き止めた。
「うん! みんなとは後でケーキ食べようね。猪鹿亭にいてくれてるんだ」
「そっか。ありがとう、パステル」
「わたしがそうしたかったの」
パステルの照れくさそうな言葉が胸を打った。
仲間たちには悪いと思うけれど、おれと二人で誕生日を祝いたいと思ってくれたことは嬉しかった。
自分で思いついて実行してくれたことがその思いに拍車をかける。
パステルの手を取り、優しく握った。
おれの傍らに立つパステルは口元をほころばせてうつむいてしまう。
その顔が見たくて下から顔を覗き込む。
パステルがおれの視線から逃れるように顔をそむたけど、身体を引き寄せるとまた顔が見える。
どちらからともなく笑い出す。
笑いながらパステルがおれに寄りかかってくる。
パステルの肩に顔をうずめると、パステルの片手が背中にまわり、もう片方の手がおれの髪をなでた。
「あったかいな、パステルは」
「クレイは冷たいね。寒くない?」
「パステルが温かいから平気だよ。パステルが冷えないといいけどな」
「だいじょーぶ」
パステルの手料理が冷めてしまわないうちに食べないといけないとは思っていても、まわした腕を放す気には中々なれなかった。
「待たせすぎて怒られるかもな」
「みんな『ごゆっくり』って言ってたよ」
「それなら、しばらく待ってもらおう」
薄暗いランプに照らされたまま、身動き一つしなかった。
「大好きだよ、クレイ」
かすれた声が耳元に届く。
伸びる影が離れたときには、料理はだいぶ冷めてしまっていたけれど、体は十分に温まっていた。
これからも、きっとパステルの一言に喜んだり落ち込んだりするだろう。
傷つけることもあるかもしれないし、傷つくこともあるかもしれない。
それでも、できるだけ溜め込まずに全てを話していこう。
話せば解決することばかりじゃないかもしれない。
決定的な亀裂が生じるかもしれない。
だけど、歩み寄ることもせずに諦めてしまうことだけはしたくない。
できることなら、できるだけ長く一緒にいたいと思ってるから。
二人でテーブルを囲う今が、当たり前のことになるくらいに長く。
微笑む君と、何度でも誕生日を迎えたいから。
END
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