過去よりも先に


ここのところ、パステルの様子が変だ。
上の空でいることが多くなって、原稿にも手をつけていないように見える。
そわそわしているかと思ったら急に出かけて、上機嫌で帰ってきた。
なんだろう。
なんだかとても、嫌な予感がする。

「パステル、散歩にでも行かないか?」
「ごめん! ちょっと、これを読んじゃいたいから」
ルーミィとの遊びが一段落ついたパステルに声をかけたら、机の引き出しから本を取り出して見せてくれた。
タイトルが目に入ったから、勝ち目がないことがすぐにわかった。
『デュアン・サーク 銀ねず城の黒騎士団』と書かれていたから。
おれの家の図書館にある『デュアン・サーク』シリーズを、できれば読んでもらいたかったけど、シルバーリーブの図書館にも全部あるのかもしれない。
少しだけ残念に思いながらも、それを表情に出さないようには努めた。
「わかった。じゃあ、お茶でも飲むか?」
「ううん。本を汚したら困るから。ありがとね」
「何かほしいものでもあったら言ってくれよな」
「うん。わかった」
返事をしながらも、パステルの意識はすでに本へと移されていた。
用事を頼まれることは、たぶんないだろう。
本を読んでいるときのパステルの集中力が並じゃないことは、おれもよく知っているから。
「くりぇー、ルーミィはじゅーすのみたいお」
「なら、下に行くか。ここにいたらパステルの邪魔になりそうだからな」
小声でルーミィに告げて、シロも一緒に台所に降りた。
その日、パステルはずっと部屋にこもっていた。

それからも、時折は原稿に向かいながらも、パステルが外出することは多かった。
楽しそうに出かけて、楽しそうに帰ってくる。
せいぜい二時間くらい出かけるだけで、帰りが夕方以降になることもない。
たいしたことじゃないと思っていても、パステルが不在のときには、おれが落ち着かない時間を過ごすようになっていった。
認めたくはないし、情けないけど、どうやら嫉妬してしまっているらしかった。
もしかしたら、一人の時間を過ごしているだけかもしれないし、同性の親しい友達ができただけかもしれないのに。
いつも決まった時間に出かけているのだから、たぶん一人ではないのだろうけど。
今日ももうすぐ、出かけるかもしれない。
おかみさんに頼まれた買い物からの帰り道に、そんなことを思っていた。
みすず旅館の玄関前まで来たら、おれが扉を開く前に内側から扉が開いた。
「あ、クレイ。おかえりなさい。ちょうど、キットンも帰ってきたんだよ」
「お帰りなさい、クレイ」
「あぁ、ただいま」
「ちょうど入れ違いだね。それじゃ、いってきまーす」
軽く片手を上げて、パステルは外へと出て行った。
玄関先にいたおれとキットンに見送られながら。
期待に満ちた横顔が、これからの時間の楽しさを物語っている。
「恋でもしてるんですか?」
そんな言葉に、はっとしてキットンを見た。
キットンはパステルの後姿を目で追っていた。
パステルの変化には、パーティのみんなどころか、おかみさんたちだって気がついているだろう。
キットンの出した結論は、突拍子もないものではないと思う。
「さぁ。どうだろうな」
それでもおれは、あいまいに言葉を濁した。
そうすれば、事実が変わるとでも思っているかのように。
「してますよ」
だけど、あいまいなおれの返答に、キットンは断定を返した。
「そうだな」
パステルの変化は、あまりにもわかりやすかった。
キットンが断定するのも無理はないほどに。
パステルが恋、か。
もしかしたらとは思っていたけど、自分でそう思っているだけなのと、人の口から聞くのとでは想像以上に違いがあった。
年長者であり、妻もいるキットンに言われたらなおさらだ。
胸が鈍く痛んだ。
このままでいいのか?
心の中で自問する。
デートを重ねるような関係であれば、そこにおれが入る余地はない。
だけどもしも、まだパステルの片想いだったなら。
「出かけてくる」
徐々に鋭さを増す痛みに後押しされるように、足を進めていた。
行き先に心当たりがあるわけではなかったけど、ただ確かめたい。
現実を眼前に突きつけられる恐怖よりも、形のないあいまいな不安から逃げ出す方が先決だった。
けれど、シルバーリーブがたいして広い村ではなくても、行き先のわからない相手を探すのは簡単じゃない。
行ったり戻ったりしながら、瞬く間に何十分かが経過した。
それは、冷静さを取り戻すのに十分な時間だった。
滑稽な自分に気がついて、足を止めた。
こんなことをしていたところで、見つかるわけがない。
それに、見つけたとして、どうするつもりなんだろう。
相手を見られれば満足なのか。
関係を問いただしたいのか。
パステルに想いを打ち明けたいのか。
今更、手遅れでしかないかもしれないのに。
打ちひしがれて、動けないでいるおれの耳に声が届いた。
「ここでいい?」
それは、聞き間違えるはずのないパステルの声だった。
「いいよ」
木立の向こうから聞こえてくる相手の声は、パステルよりは小さなものだ。
だけど、男性の声であることはわかった。
突然のことに驚いて身がすくむ。
ここにいたら立ち聞きになると思いながらも、体は動かなかった。
早く行かないと。
焦れば焦るほど、足が根付いてしまったかのように硬直してしまう。
早く、どこかに。
「それでね…」
「パステル!」
「え?」
動かない足の代わりに声を張り上げた。
「クレイ?」
しばらくしてから、木の影からパステルが顔を出した。
「そんなところにいたんだ。どうしたの?」
パステルの顔を見ただけで、気が抜けてしまいそうだった。
いつもと同じ、何も変わらないパステル。
おれが好きな、君の笑顔。
「クレイさんですか?」
パステルの横から、男性が出てきた。
おれよりも何歳も年上らしいその人物は、めがねをかけて、顔にはたくさんのそばかすをつけていた。
かつて一時期だけパーティに入った、トマスをもっと素朴にしたような顔立ち。
よれた薄手のコートに、手の入ってなさそうな頭髪。
全体的な雰囲気は、トマスというよりもキットンを連想させた。
彼が、パステルの相手なんだろうか?
パステルは、ジュン・ケイやギアに惹かれていたわけだから、そういう系統の人だと思っていたけど。
外見だけで選んでいるわけではないにしろ、目の前にいる彼はパステルの好みとはだいぶ離れているようにも思う。
だけど、それを超えるほどに性格が合うのかもしれない。
胃が重くなったような錯覚を覚える。
実際にこうして二人を目の前にすると、どうすることもできないのだと知った。
「お会いしたかったです!」
彼は生垣の向こうから、手を伸ばしてきた。
それが、握手を求めたのだと気がつくまでに、数瞬がかかった。
反射的に手を差し出すと、固く握られる。
「彼はマルセイさんっていうの。クレイも中に入ったら?」
生垣越しの会話に不自然なものを感じたのか、パステルが公園の入り口を指差した。
まだ握られていた手をやんわりと放し、公園の中に入った。
彼とパステルの関係を考える間もなく、二人が並んで座っていたらしいベンチに三人で腰掛けた。
「改めまして、はじめまして。マルセイ・シモンズです」
「はじめまして。クレイ・S・アンダーソンです」
マルセイさんは妙に感動しているようだった。
再度、握手を求めるかのように身を乗り出している。
「クレイ・ジュダ・アンダーソンさんの子孫の方に会えるなんて光栄です」
ごくたまにではあるけど、こういう経験がないわけではなかったから、それだけで少し理解した。
彼は、クレイ・ジュダに憧れているのだろう。
伝説の勇者であるデュアン・サークとは比べるべくもないけれど、曽祖父のことを知っている人は少なからず存在する。
「どうも」
パステルから話を聞いているのか、不躾でないだけなのか、ジュダのファーストネームをおれが受け継いでいることや、シドの剣についての質問はなかった。
パステルに彼との関係を聞こうかどうしようかと迷っているうちに、マルセイさんがパステルを見た。
「パステルさん。話してもいいですか?」
「うん」
顔を輝かせながら、マルセイさんは傍らに置いてあった大きな鞄から何冊かの本を取り出した。
見るとそれは『デュアン・サーク』だった。
パステルは彼から本を借りていたのだろうか。
図書館ではなく、わざわざ個人から本を借りているのだとすれば、やっぱりパステルと彼は特別な関係であるようだ。
「実は、この本にクレイ・ジュダが登場しているかもしれないんです」
「は?」
落ち込みそうになっていたところに、思いもかけないことを言われて、思考が停止してしまった。
クレイ・ジュダが、デュアン・サークと出会っていた?
そんな話は聞いたことがないけど。
「驚かれるのも無理はないです。実はですね、図書館で熱心に『デュアン・サーク』のシリーズを借りているパステルさんを偶然見かけましてね。デュアン・サークといえば伝説の勇者ですが、今現在では子供の読み物としての側面が大きくなっています。もちろん、彼について調べている研究家も存在しているわけですが。パステルさんくらいの年齢になると中々詳しい人もいませんので、図書館で声をかけて手伝ってもらったんですよ。『デュアン・サーク』シリーズの中にクレイ・ジュダが存在しているかどうかを」
熱意のある口調に、気おされそうになる。
デュアン・サークの伝説をまとめた小説の中にクレイ・ジュダがいるかもしれない、らしい。
「まさか」
「そう! そのまさかなんですよ! 伝説の勇者と青の聖騎士が出会っていたと言う事実はこれまで確認されていません。だからこそ、わたしは調べているのです」
マルセイさんは、どうやらデュアン・サークの研究家のようだった。
調べていく過程のどこかで、デュアン・サークとクレイ・ジュダが出会っているのではないかと思ったようだ。
クレイ・ジュダに関する記述のある本なんてそうはないだろうから、『デュアン・サーク』シリーズに名前も出ないような端役で登場していたとしても、気づかれることはないかもしれない。
「それなら、おれに声をかけてくれれば良かったのに」
パステルがマルセイさんから借りた本を読んで、クレイ・ジュダが登場しているかどうかを調べていたのだとしたら、おれが読んだ方が確実な気がする。
…ってあれ? なんか肝心なことを忘れているような。
パステルが誰かに恋をしたから、こうして追ってきたんじゃなかったか?
でも、実際には調査の協力をしていただけだったようだ。
二人を見ていても、特別親しそうには見えない。
パステルが調査をして、結果をマルセイさんに伝えて、二人で話し合っていただけらしい。
「そうなんだけどね。まずはピックアップからはじめてるの。凄腕の剣士の記述があるところをメモしてね。その段階でジュダさんじゃないってことになるかもしれないから。クレイに変に期待させたら悪いもん」
クレイにとって、ジュダさんは憧れの人なんだから、とパステルは締めくくった。
パステルが、そんな風に思っていてくれていたとは知らなかった。
だけど、そのせいで自由な時間は少なくなったはずだ。
本を読むのは好きなパステルだから、作業自体は苦にならなかっただろうけど。
出かけていくときの機嫌の良さからして、楽しいものだったんだろうけど。
おれの曽祖父のために、時間をさいてくれたんだな。
それなのにおれは、つまらない嫉妬なんかしてた。
思い返すと顔から火が出そうで、恥ずかしくて仕方がない。
「でもね、本当に『デュアン・サーク』シリーズにジュダさんが登場してるかもしれないの。『デュアン・サーク』シリーズはとっても長いんだけど、比較的初期のころに。活躍してるわりに描写が極端に少ないからわかりにくいんだけど、よく読むとね、黒いアーマーを着てるってわかったんだ」
クレイ・ジュダは青の聖騎士と呼ばれているけど、実際に青のアーマーを着ていたのはごく短い期間で、それ以外の時は黒いアーマーを着ていたとパステルたちに話したことを思い出した。
「パステルさんに手伝ってもらえて良かったですよ。クレイ・ジュダといえばやはり青のイメージがありましたから。まさか黒いアーマーを着ていたとは。クレイ・ジュダも、もっと後世に伝わっていい騎士だと思いますけどね」
「ありがとうございます」
なんて返事をしていいかわからずに、お礼を言うにとどめておいた。
「さて、パステルさんにピックアップしてもらったメモを読まないと。今日もありがとうございました、パステルさん。次は時間があるときでいいですからね。少なくても今日は、彼のために時間を使ってください」
「クレイのために?」
きょとんとしたパステルに手を振って、マルセイさんは帰っていった。
残されたのは、妙に考え込んでいるパステルと、初対面で見抜かれたらしい立場のないおれ。
だけど、せっかくチャンスをもらったのだから、それを棒に振るわけにはいかない。
パステルの手をつかんで、もう片方の手で数冊の本が入ったパステルの荷物を持った。
「どうしたの?」
「帰ろう」
「うん」
おとなしく手を引かれて、パステルはおれについてきた。
「あのさ、パステル」
「うん?」
「今日、これからおれに付き合ってくれるか?」
「いいけど、なんで?」
聞かれてすぐに、息を呑むような音が聞こえてきた。
パステルが気がついたのは、おれが耳まで赤くしているのを見たからか、店の前ではためいている「White day」と書かれた旗を見たからかはわからないけど、それでも足を止めることはなかった。
「うん。いいよ」
しっかりした返事をして、おれの隣に並ぶ。
「明日からは、作業を手伝うよ」
ふいに、キットンの言葉を思い出した。
『恋でもしてるんですか?』
あれは、パステルに向けられた言葉じゃなかったんだ。
おれがキットンを見たときに、キットンはパステルを見ていたけど、その言葉を言ったときにはおれを見ていたのだろう。
『してますよ』
キットンはもしかしたら、おれに行動するきっかけを与えてくれたのかもしれない。
たんに、おれが勘違いしただけかもしれないけど。
「ありがとう。二人でなら、はかどりそうだね」
「そうだな」
過去に思いを馳せるのは明日からにして、今日は君と二人で過ごそう。
つまらない嫉妬をしていたと話したら、君は何て言うだろう。
呆れられても、怒られても、君と向き合えるのなら楽しいに違いない。


END





――――― あとがき ―――――
深沢先生が書かれた「フォーチュン・クエスト」がパステルの書くパーティの冒険譚と違うように、深沢先生の書かれた「デュアン・サーク」とFQ世界に存在する「デュアン・サーク」では違うようなので、そこのところをネタにしてみました。ジュダさんはデュアンの方でもかなり登場しているようなので、書かれていないのは不自然にも思いますが、書かれているのにクレイが知らないというのはありえなさそうかと思います。
クレイの嫉妬がメインのはずでしたが、ジュダさんの方も取り入れたので、中途半端になった感もあります。
嫉妬に良いイメージがないせいか、それをメインに持ってくるとどうしてもクレイが情けなくなるのが難点です。他にも嫉妬ネタはリクエストされていますし、もうちょっと情けなくない嫉妬も書けると良いです。





特集の部屋へ