はじまりの夜
「トラップと!?」
パステルが驚きの声を上げた。
その顔も、声と同じくらいに驚いていることがわかるものになっていた。
「えぇ。まぁ、ね」
自分でもわかるくらいに歯切れが悪い。
もっと平然としているつもりだったのに。
「そうなんだ。あ、ごめん。なんか、びっくりしちゃって」
驚いたことが申し訳ないとでも言うように、パステルはわたしに謝った。
「いいのよ、別に。驚くのも無理はないわ」
パステルに、クレイが好きだと告げてから、まだ一年も経っていないんだもの。
あのときには、もう心の整理はついていたのだけれど。
それでも、まだ好きだったことに変わりはなかった。
パステルとの仲を応援したのは口先だけではなかったし、二人が上手くいったらいいと本心から
思っていた。
クレイを見ていれば、パステルが好きなことはわかってしまったし、パステルの方も、サラの
ことを知ったときの反応を考えれば、クレイに全く気がないわけでもないと思った。
パステル本人には否定されたけれど、わたしがクレイを好きだと告白しておいて、パステルが自
分も好きだと認められるはずがなかったのよね。
もしかしたら、本当に自分の気持ちに気がついていないだけかもしれないけれど。
ただ、気持ちは簡単には切り替えられなかった。
いくら望みがなくても、諦めていても、想いはやっぱりクレイに向いていた。
それでも、パステルに気持ちを打ち明けてからは、本当に少しずつではあったけれど、気持ちは
薄れていっていたみたい。
言うべきではなかったのかもしれないけれど、それでも言えて良かったとも思う。
誰にも言えなかったわたしの気持ちを、せめて親友であるパステルには知っていてもらいたかっ
た
から。
パステルを悩ませるだけだとわかっても、打ち明けずにはいられなかった自分の想いが、こうも
簡単に変わってしまうのは予想外だったけれど。
「クレイのことは、もういいの?」
「そう。もういいの。パステルに言えたおかげで吹っ切れたわ。ありがとね。だから、わたしの
ことは気にしないで、クレイと幸せになって」
今度こそ本当に、みじんの嫉妬心もなく、そう言うことができた。
「クレイのことは、そんなんじゃないよ」
赤くなって目をそらされても、説得力がないのよね。
パステルにはパステルのタイミングがあるのでしょうから、あまりしつこく言わない方がいいの
でしょうけれど。
「それより、マリーナ。クリスマスをトラップと一緒に過ごすつもりなら、どうしてあんな風に
言ったの?」
パステルが話題を変えるために出した質問が、わたしをまたうろたえさせた。
「…もう予定が入ってるなら、しかたがないもの」
「トラップの場合は、予定っていうか。マリーナが二人でいたいって言えば、そうしてくれると
思うけど」
「そうかしら」
クリスマスパーティの準備に忙しいみんなに向かって、トラップは今回は早めにパーティを抜ける
とクレイたちに言っていた。
シルバーリーブに着いた早々のわたしを誘ってくれるのかもしれないとは、少しも思わなかった
けれど、続く言葉には呆れて物も言えなかった。
「おれとクリスマスを過ごしたいって奴らが結構いてな。そっちに呼ばれてんだよ。おれらのパ
ーティなんかじゃ出てこないような料理がわんさか並ぶらしいぜ」
トラップは満面の笑顔でそんなことを言った。
みんなが呆れてたけど、慣れているみたいで「ほどほどにしとけよ」みたいなことを、苦笑と共
に告げただけだった。
「せっかくのパーティなのに、他のとこに行くことないじゃない」
みんなが文句も言わないのに、わたしが言うのもおかしな話だと思わないでもなかったのだけれど、
つい口が出てしまう。
「呼ばれてんだから、いいだろ」
「女の子たちに囲まれるのも今のうちだけよ」
「そう思ってんのはおめぇだけかもしんねーぞ」
「来年のクリスマスは、誰からのお誘いもないでしょうね」
自信満々な言い方がしゃくに障ったとはいえ、突っかかるつもりはなかったのに、わたしは
そんな返答をしていた。
「おめぇには関係ねぇだろ」
「そうね。今年も来年もその先もずっと、関係ないわね」
冷たささえなく言ったわたしに、トラップは返事もしなかった。
こんなときに、言葉に悔しさをにじませるとか、泣きたいのを必死でこらえるとか、そんなこと
ができるのなら、まだ良かったのかもしれない。
だけど、その声音はいつもと寸分の違いもなかった。
結果、トラップとのクリスマスを過ごす予定は見事に崩れ去ってしまった。
パステルに「この時期って忙しそうだけど、来てくれて嬉しい」って言われて、思わず「トラッ
プとクリスマスを過ごしたかったから」なんて答えてしまって、冒頭のパステルの叫びに繋がる。
「とにかくさ、マリーナ。クリスマスは明日なんだから、明日までになんとかすればいいんじゃ
ないかな」
「もういいわよ。女の子たちと忙しいみたいだもの。パステルたちと過ごすクリスマスだって楽
しみだわ」
「マリーナ…」
「大丈夫よ、パステル。来年だってその次だってあるんだから。来年のクリスマスまであいつを
追いかけてる子がほんとにいると思う?」
「わかんないよ。いないかもしれないけど、いるかもしれない。あの子たちの誰かと、トラップ
が付き合っちゃうかもしれないよ?」
『今ならまだ間に合うから、素直になって』とパステルは言いたいのだと思う。
たしかに、その可能性がゼロだというわけではないのしょうけど。
明日、トラップが誰かと上手くいったりしたら、どれくらい後悔するのかしら。
失ってからはじめて気づくっていうのは、できれば避けたいところだけれど。
「そうね」
意地を張るためにシルバーリーブまで来たわけじゃない。
わたしはちゃんと決心していたはずなのだから。
そうでなければ、わざわざお店を休んだりしない。
アンドラスの仕事を断ったりもしない。
時間とお金の両方をかけてシルバーリーブに来たのは、素直じゃないトラップに、素直じゃない
わたしが、素直な心を告げるため。
意地っ張りで口も態度も悪いトラップが好きだから。
あんたと一緒にクリスマスを過ごしたいと、ただそれを言うためだけに来たのだから。
「言ってくる」
「うん! その方がいいよ。絶対!」
パステルは心の底から嬉しそうに笑った。
これ以上の幸せはないかのように。
友達のことで、こんなにも素直に喜べるパステルは、本当に魅力的だ。
「ありがとう、パステル」
「ううん。上手くいくと良いね」
「それじゃ、ちょっと行って来るわ」
パステルの言葉に軽く頷いてから、部屋から出た。
隣の部屋をノックしても誰もいなくて、コートを着込んでから外に向かう。
トラップやみんなが住む村をあてもなく歩き始めた。
公園、新しい図書館、古ぼけた雑貨屋さん、洒落た喫茶店。
トラップはここに来たことがあるのか、あるとしたらどこでどうしてたのか、そんなことが気に
かかった。
わかるはずもないのに。
知ったからってどうなるものでもないのに。
途中、薬屋の前を通ったときに、キットンの声が聞こえた。
大きな笑い声はやはりキットンのもので、わたしを見つけると嬉しそうに笑ってくれた。
村を散歩しているのだと説明して、さりげなく他のみんながどこにいるのか知っているかどうか
を尋ねた。
「三人とも仕事だと思いますよ。クレイは武器屋なんです。ここからはちょっと離れてるんです
けどね。トラップは郵便配達なので、飛び回ってるでしょう。ノルは今日は荷物の積み込みとか
言ってましたが、どこでなのかはわたしはわからないですね」
浮かれているのが申し訳なくなってくるようなキットンの返答だった。
クリスマスイブも関係なく働いて、パーティの準備もしてるのよね。
トラップがそれを望んでいるなら、せっかくのクリスマスには女の子たちと一緒なのもいいのか
もしれない。
たまの休日には、したいことをしてもらいたい。
決心したばかりだというのに、わたしの考えはそんな方向に傾きはじめてもいた。
郵便局は、薬屋にたどり着くまでに通っていた場所だったから、自然にそちらに足が向いた。
配達をしているトラップに会えるとは思っていなかったけれど、郵便局が正面に見える場所に、
なんとなく立っていた。
考えて見れば、仕事をしているトラップなんて見たことがない。
真面目に働いているのかしら。
30分が過ぎ、1時間も越えようとしたころに、目立つ赤毛が目に入った。
「何やってんだ? こんなとこで」
わたしが見つけたのとほとんど同時に、トラップもわたしに気がついたようだった。
「パステルとはぐれたのか?」
パステルに村の案内をしてもらっているのだと思ったみたいね。
「違うわよ。ただ…。そうね。あんたに会えるかと思って」
「何か用か?」
「相変わらずぶっきらぼうね、あんたって。そういえば、仕事の邪魔よね。夕食の後ででも
話せる?」
「昼飯に戻ってきたんだから、別に邪魔じゃねぇよ。おめぇも一緒に食うか?」
「いいの?」
「わざわざ待ってたのに帰せるわけねぇだろ。気になって午後の仕事にならねぇじゃねーか」
トラップはそう言うと、先に歩き出した。
「そんなにデリケートじゃないじゃない」
「おれがいかに繊細か、誰も気づかねぇんだよな」
「だってあんた、繊細じゃないもの。人にはズバズバものを言うくせに、自分は繊細ぶるわけ?
それなら人の気持ちにも、もう少し敏感になるのね」
「誰がそんな風に反論しろって言ったよ。おめぇはほんとにかわいくねーな」
トラップが珍しく気を遣ってくれたのに、油断するとすぐに普段のかわいくないわたしが顔を出
してしまう。
「そうね。ごめんなさい」
「明日は雪か」
素直になるとこういう反応をされるから、ついつい意地を張ってしまうのだけれど。
空を見上げてとぼけるトラップに、軽くひじ打ちをした。
「らしくねーこと言うからだよ。おめぇはもっと」
「わたしらしいってどんなの?」
冗談のように軽い口調だったトラップに、わたしはちょっと真面目に切り返した。
「…だから、かわいくねーのがおめぇだろ」
もっと追求してみたかったけれど、それこそ「かわいくない言動」でしかないから止めておいた。
「わたしが素直になったらおかしいかしら」
「おかしくはねーだろうけど。何かあったのか?」
「わたしね、あんたと一緒にクリスマスを過ごしたかったの。あんたと二人で。だからシルバー
リーブに来たのよ」
顔に熱が集まって、胸は騒がしい音を立てる。
素直になるのはエネルギーが大量に必要だった。
だけれど、その価値は十分にあるのかもしれない。
トラップは足さえも止めて、呆けたように私を見つめた。
かと思うと、顔が真っ赤に染まった。
そんなトラップの顔を見つめていることが恥ずかしくなって、目を逸らしてしまう。
こんなこと、今まで一度もなかったのに。
「からかってんじゃねーよな?」
「当たり前じゃない」
顔を背けたまま、早口で答えた。
恥ずかしい。
恋をしている女の子のような反応に、自分が一番戸惑っていた。
正真正銘、恋をしている女の子なのだから、何もおかしくはないはずなのに。
でも、今までこんな経験がなかったから。
どうすればいいのかしら。
心臓が早鐘のように打ち鳴らされる。
「だから、機嫌が悪かったのか」
昨日のわたしの態度に、ようやく思い至ったかのようにつぶやいた。
その顔をそっとうかがうと、さっきよりも赤みが増していた。
「あ。えっと、どうすりゃいいんだ」
何かを答えなくてはいけないと思ったトラップが、何かを言おうとしているようだけれど、どう
答えていいか、わからないらしかった。
「女の子の扱いには慣れているんじゃなかったの?」
戸惑うトラップがおかしくて、わたしは少しだけいつもの調子を取り戻した。
「ナンパだってしてるくせに」
「それとこれとは、話が違うだろ。お前にこんなこと言われるなんて思ってなかったんだから
よ」
「返事は明日でもいいわよ」
「いや、今でいい。明日の予定はキャンセルするから」
「それは駄目よ」
わたしが言うと、トラップは目を丸くした。
「は? なんで?」
「だって、もう約束してるのでしょう? 準備も進んでいるでしょうし、こんなギリギリで断る
なんて悪いじゃない」
「おれは、別にいいけど」
「あんたねぇ。そんなに簡単に破れるような約束なら、はじめからしない方がいいわ。ナンパし
てもすぐに飽きるみたいだし、あんた、女の子との付き合い方をもっとちゃんと考えたほうが良
いわよ」
「おめぇはどうしたいんだよ」
わたしが説教じみたことを言ったのに呆れたのか、トラップの顔からは赤みがだいぶ薄らいでき
ている。
わたしの顔は完全に肌色になっているに違いなかった。
「昼間に一緒にいましょう。パステルたちとのパーティは夕方からだから、その前に予定がなけ
ればいいと思うけど、どうかしら?」
「昼間でいいのか?」
「お昼でも朝でもクリスマスはクリスマスよ。夜だけが特別じゃないわ」
クリスマスは夜ばかりが注目されがちだけれど、日付が大事なのであれば、時間は関係ないと思
うのよね。
「それで、夜にはおれが他のとこに行ってもいいってわけか?」
「えぇ。だって約束しているのだもの。特定の誰かとって言うわけじゃないのだし、昼間の内に
あんたの気持ちをつかんでおけば問題ないでしょう?」
「その上で夜は他の女のとこに行かせようってのは、嫌がらせか何かか?」
言われてみればそうなのかもしれない。
好きになった人を放っておいて、別の女の子たちと遊んでくるなんて、よほど器用な人でなければ
難しいかもしれない。
わたしは翌日にはエベリンに帰るのだし。
「そんなことはないわよ。でも、約束は約束。あんたがした約束なのよ。約束も守れないような
男は、わたしは好きじゃないわね」
嫉妬がないわけじゃない。
たとえトラップがOKしてくれたところで、夜には魅力的な女の子と出会うかもしれない。
それでも、トラップとのクリスマスを楽しみにしている気持ちは理解できるから。
抜け駆けをさせてもらう代わりに、邪魔はしないと決めた。
「心配はしてないってわけか」
「そんなことないわよ。来年こそは独り占めにさせてもらいたいもの。パステルたちは別として
ね」
「そりゃまた、光栄な話だな」
「でしょう?」
「返事は、明日の朝な」
「わかったわ。じっくり考えてもらいたいから、お昼は一緒じゃない方がいいわね。わたしは
パステルたちと食べるから」
「わかった。気をつけて帰れよ。帰れるか?」
珍しいトラップの気遣いは、動揺の表れなのかもしれない。
「えぇ。平気。ありがとう」
旅館までの道筋を聞いて、トラップと別れた。
今更のように体が震えてきたけれど、もう後戻りは出来ない。
クリスマスを二人きりで過ごせるかどうかは、トラップしだいだ。
クリスマスの当日、快晴の空の下で、わたしとトラップは並んで歩いていた。
腕を組むわけでも、手を繋ぐわけでもない微妙な距離を保ったままで。
パステルたちとパーティの時間が迫るころに、わたしはきちんとトラップに告白した。
「あんたの気持ちをつかまえる」と宣言はしていたものの、そんなに自信があったわけでは
もちろんなかった。
トラップ本人も、戸惑いの方がまだ強いみたいで、返事は「時間がほしい」というものだった。
そんな状態で女の子たちのところへ行ってしまったわけだから、心配は募る一方だったけれど、
どうすることもできない。
パステルに昨日、今日の話をしていると、日付が変わる前にトラップが帰ってきた。
呼ばれて二人で外に行く。
パステルの花が咲いたような笑顔は、何かを期待しているのだと思うけれど、わたしは自信が
持てなかった。
むしろ、振られてしまうのではないかっていう心配が大きかった。
「ちょっと、歩こうぜ」
「えぇ」
並んで歩き出しても、トラップは何も言わない。
わたしも何を言わなかった。
楽しかった? なんて聞けるはずもないし、聞きたくもない。
どうしたの? と聞くのは怖かった。
イルミネーションがきらめく、人の多い場所じゃなくて、トラップはわたしを人気のないところ
に連れて行った。
「明かりなんか、空のでも十分だろ」
夜空には幾千もの星が輝いている。
確かに、これで十分なのかもしれないわね。
人工的な明かりがなくても、雰囲気は悪くなかった。
ロマンチックだと言っても差支えがないくらいに。
トラップは、わたしと向き合うと、そっとわたしの手を握った。
指先だけをつかむ手は、いつ離れてしまうかと不安になるほど力がこもっていなかった。
だけどそれは、ためらいではなくて、緊張の表れだった。
「おれは…おれも、来年はおめぇと二人で過ごすのがいいから、来年の予定はもう入ってるから
って、あいつらには断ってきた」
「本当にわたしで良いの?」
「お前がいいんだ」
指先だけをつかまれた手を、わたしも握り返した。
離れてしまわないように。
「泣いていいなんて、言ってねーぞ」
トラップの困ったような声が、頭上から降ってくる。
「いいの。嬉しいんだから」
涙を拭くこともせずに、もう片方の手も握り合った手に添えた。
トラップに頭を引き寄せられて、その胸の中におさまる。
「ハンカチなんざ持ってねぇから、これで拭いとけ」
服に、わたしの涙がしみこんでいく。
「もう、クリスマスも終わりだな」
日付が変わっても、わたしもトラップもその場から動かなかった。
聖夜が終わってしまっても、わたしたちは終わらない。
はじまったばかりのわたしたちは、これからも続いていく。
できることなら、この先もずっと。
END